『山都町とは』
昭和廿五年四月一日山都村、小川村、小幡村を廃して山都町となり次の十九部落にわかれている。
木曾、広野、三ツ山、館原、船(舟)岡、小布瀬原、川吉、一郷、寺内、下川角、最明寺開拓地、上林、下村、洲谷、川隅、船引、堂山、中反、宮古。
昭和廿七年度県指定のモデル町であり、いわゆる合併町村にしてその成績は内の協力理解と国、県当局の指定援助により極めて順調に進んでいる。その業績としてほめ讃えられるものがないにしても、戦後時勢によるはもち論であるが、すべてにおいて大きく変化したと言うことは何人も首肯するところでありましょう。特に点かの難治村、県下の悪村と批判された歴史を知る者にとっては誠に感慨無量と言わなければなりません。今後現在迄のよきを更に助長し且つ磨き欠点をあらためて一層着実な進展が望まれるわけであります。
なお下川角部落は全戸生活改善を実施、その成果は広く全国に紹介され遠近の視察者が多い。
また最明寺開拓地はその経営頗る良好にして仙台農地事務局長から表彰されている。町はこの両者に対し金一封を贈りこれを讃いた次第である。
更に町にある山都高校は第七回国体漕艇助詞ナックルホアにおいて優勝を獲得、天下にその名を鳴らした。
面積 四六二七平方粁(三平方里)
人口 五二三〇人 男 二七二六、女 二五〇四人
戸数 八八一戸
土地
国有地 山林 一〇一八町六反
公有地 山林 三七町四反
民有地 田 三三二町六反
畑 二四五町三反
宅地 一一八六四五坪
山林 二〇八四町一反
原野 二一一町七反
池沼 一町一反
その他 六五八坪
景勝地
小山公園
宗像神社の東方一の戸川に面する丘上を公園とし、忠魂碑其の他の石碑が経っている。眺望極めてよく将来手入れをすれば小さいながら名所のひとつになりましょう。
一の戸川上の鐵道鐵橋
日本でも何番という高いそして長い鉄橋は今でもひとつの名物たるを失わないし、其の辺の景色はまた格別である。
山都橋一帯の風光
河沼郡千咲村に通ずる吊橋付近の景観は全く素晴らしい。町のおたがいは左程に思いないが、他の人々が絶賛してやまない地点である。川の両岸に桜樹が植栽され、やがて此の付近一帯が名所となることでしょう。
其の他山と川に恵まれているこの町には、遠く磐梯、飯豊を望み乍ら只見を合わせた洋々たる大河を見るにふさわしい場所が至ところにあって、適当人口を加いることによって絶好のハイキングコースが出来るということに注意すべきである。
夏のボートに水泳、飯豊の登山口、秋のもみぢは河畔と町の奥地がひとしお綺麗である。
こう言う景勝の地を広く紹介し夏の行事の名物を作ろうと町の商工部会は相はかり燈籠流しの催しを計画、二十六年から二十七年と二回執行、更に継続されてほんとうにこれが町の名物になって来た。夏の夜空を色彩る数千発の花火、素晴らしい燈籠の数、男性的な音となびき、みんなが待っている此の行事の年々盛大に行われることを希望するものである。
名物 銘産
中反そば
これは町の名物として大いに宣伝の価値がある。
なめこ、椎茸
天然、人口ともに生産が多くなれば食品名物として押し出せる。
桐材桐製品
会津桐として天下一品大いに植え大いに技術を研究して名実共に是非日本一に致したいものである。
「町制施行三周年 直診療所開所記念 山都町のあゆみ 昭和二十八年七月五日 発行者 佐藤寅次郎」より抜粋
木曾、広野、三ツ山、館原、船(舟)岡、小布瀬原、川吉、一郷、寺内、下川角、最明寺開拓地、上林、下村、洲谷、川隅、船引、堂山、中反、宮古。
昭和廿七年度県指定のモデル町であり、いわゆる合併町村にしてその成績は内の協力理解と国、県当局の指定援助により極めて順調に進んでいる。その業績としてほめ讃えられるものがないにしても、戦後時勢によるはもち論であるが、すべてにおいて大きく変化したと言うことは何人も首肯するところでありましょう。特に点かの難治村、県下の悪村と批判された歴史を知る者にとっては誠に感慨無量と言わなければなりません。今後現在迄のよきを更に助長し且つ磨き欠点をあらためて一層着実な進展が望まれるわけであります。
なお下川角部落は全戸生活改善を実施、その成果は広く全国に紹介され遠近の視察者が多い。
また最明寺開拓地はその経営頗る良好にして仙台農地事務局長から表彰されている。町はこの両者に対し金一封を贈りこれを讃いた次第である。
更に町にある山都高校は第七回国体漕艇助詞ナックルホアにおいて優勝を獲得、天下にその名を鳴らした。
面積 四六二七平方粁(三平方里)
人口 五二三〇人 男 二七二六、女 二五〇四人
戸数 八八一戸
土地
国有地 山林 一〇一八町六反
公有地 山林 三七町四反
民有地 田 三三二町六反
畑 二四五町三反
宅地 一一八六四五坪
山林 二〇八四町一反
原野 二一一町七反
池沼 一町一反
その他 六五八坪
景勝地
小山公園
宗像神社の東方一の戸川に面する丘上を公園とし、忠魂碑其の他の石碑が経っている。眺望極めてよく将来手入れをすれば小さいながら名所のひとつになりましょう。
一の戸川上の鐵道鐵橋
日本でも何番という高いそして長い鉄橋は今でもひとつの名物たるを失わないし、其の辺の景色はまた格別である。
山都橋一帯の風光
河沼郡千咲村に通ずる吊橋付近の景観は全く素晴らしい。町のおたがいは左程に思いないが、他の人々が絶賛してやまない地点である。川の両岸に桜樹が植栽され、やがて此の付近一帯が名所となることでしょう。
其の他山と川に恵まれているこの町には、遠く磐梯、飯豊を望み乍ら只見を合わせた洋々たる大河を見るにふさわしい場所が至ところにあって、適当人口を加いることによって絶好のハイキングコースが出来るということに注意すべきである。
夏のボートに水泳、飯豊の登山口、秋のもみぢは河畔と町の奥地がひとしお綺麗である。
こう言う景勝の地を広く紹介し夏の行事の名物を作ろうと町の商工部会は相はかり燈籠流しの催しを計画、二十六年から二十七年と二回執行、更に継続されてほんとうにこれが町の名物になって来た。夏の夜空を色彩る数千発の花火、素晴らしい燈籠の数、男性的な音となびき、みんなが待っている此の行事の年々盛大に行われることを希望するものである。
名物 銘産
中反そば
これは町の名物として大いに宣伝の価値がある。
なめこ、椎茸
天然、人口ともに生産が多くなれば食品名物として押し出せる。
桐材桐製品
会津桐として天下一品大いに植え大いに技術を研究して名実共に是非日本一に致したいものである。
「町制施行三周年 直診療所開所記念 山都町のあゆみ 昭和二十八年七月五日 発行者 佐藤寅次郎」より抜粋
プール
今日、久しぶりに中学校のプールの脇を通ったのですが、その時にプールに関する思い出でが沸々と蘇ってきたのであります。
実を言うと僕は、プールに関して良いエピソードどいうものがまったくなくて、小学校の時に相川の山都二小プールで行われた水泳大会では、クラスのみんなと先生が僕が金槌であるのを承知しながら二十五メートル自由形種目に選出して、僕は最後の最後まで出場することを拒否していたのだけど、それでも逃げる術を知らない僕は大会に出ることになってしまった。
いよいよ当日、僕の番になり「バンッ!」と鉄砲の合図が鳴っても、僕は恐怖のあまり飛び込み台の上で躊躇していると、クラスのみんながおもしろ半分に僕に“泳げ、泳げ”の大コールの大合唱。
僕は何がなんだかわからないうちにプールに飛び込むと、すぐにその場所でボコボコと沈んだまま浮き上がることができず思いっきり溺れてしまい、当時、不良教師と呼ばれていた中川先生がジャージ姿のまま飛び込んで僕をサルベージしたという事件がありました。
僕は少なくとも山都二小のプールの水を5デシリットルは飲んだな。あの時は本気で死ぬかと思ったよ。
中学校になっても僕の金槌ぶりはまったく変わらなくて、やはり毎年のように水泳大会があったのですが、これに出るのが本当に嫌で嫌で、僕は溺れるくらいなら家出をしちまえ!と決め込み、水泳大会当日の朝に家出をして、近くの鉄橋で汽車の写真を撮っていたのです。しかし、家出をした一時間後くらいに大雨が降り出してきたけど、「あの学校のことだ。これぐらいの雨で水泳大会は中止にはしないだろうな・・・」なんて思っていたけど、実は朝の曇り空の時点で水泳大会は中止になっており、そんなことより僕が行方不明になったことで大騒ぎになっていた。学校の先生達が
「あいつの自転車の特徴は?」
「よく行くところは?」
などど仲の良かった友達に聞いていたようで、学校でそんな騒ぎになっているとは思ってなかった僕が夕方になって家に戻ると、母が仕事を早退して家にいて、真剣な顔で
「あんた、どこへ行っていた!!」
と怒られて、そこで初めて僕が行方不明になったことが教育委員会を巻き込む大騒ぎになっていることを聞かされて、事の重大さに気づいたという有様でした。
そして最近になって母から聞いた話では、家出をした直後、僕を気遣った同級生達が僕の家まで迎えに来て、
「一緒にお祭りに行こうぜ」
と誘ってくれたことがあったと教えてくれました。
そんな金槌な僕だったのですが、高校生になるとみんなで川に行って遊ぶことが多くなり、ふざけているうちに急に泳げるようになり、それ以来、水泳とかプールに対して恐怖心というものがまったく消えて自信を付けたのであります。
ここまでが長い前置きです。話しを高校時代に戻します。
ある日、僕が旅行雑誌を読んでいると、とても美しいページが印象に残りました。
時代はバブル全盛期。あちこちの避暑地にはリゾートホテルが乱立し、しょうしゃなホテルの脇にはバスクリンを入れたようなエメラルド・グリーン色のプールがあって、プールサイドのサマーベッドの上ではお嬢さんが寝ころびながらトロピカルなジュースやカクテルなんかを飲んでいるシーンに衝撃を受けて、
「これだ! これからはリゾートだ。今すぐこれを山都で実行しようではないか!」
と決意した。
翌日、僕らはたまり場となっていたカフェ「スターダスト」からインスタントのアイスコーヒーと懐中電灯を仕込んで、さっそく旅行雑誌のマネをしようと企み、僕ら7〜8人で深夜の山都第一中学校のプールに潜入したのです(高校生なので中学校のプールは使用できなかったため)
「懐中電灯はひとり一個持参な」
「おい、誰かに通報されるから大声は出すなよ」
「近所に響くから飛び込みは禁止だぞー」
僕らはフェンスを乗り越えジャージを脱いで海パンになった。空を見上げると天の川がはっきり見える、とても美しく静かな夜だった。
僕らは静かにプールに入り、潜水をしたりのんびりと平泳ぎなんかをして楽しんだ。プールサイドに置かれた懐中電灯の光が、水中から見るととても美しい光へと変化して、まるで深海でダイビングをしているような気分になった。
僕らはプールから上がって休憩をしていると、気の利くやつがプールサイドの脇からすっかり野生化したスイカを持ってきてさっそく食べようぜということになる。
僕は空手チョップのマネをしてスイカをまっ二つに割るつもりでいたけれど、熟れすぎたスイカは木っ端みじんに砕けてしまい、それでもあちこちに散らばったスイカをみんなでムシャムシャと食べていた。その時だ、グランドのほうから懐中電灯の光が見えこちらに近づいてくるのが見えた。
「おい、誰か来たぞ!隠れろ!」
僕らはスイカの皮を放り投げ、僕を含めた2〜3人はプールの脇の草薮に、それ以外の者はプールに潜って身を潜めた。
懐中電灯の光はプールのフェンスまで近づいていた。
「おーい、誰かいるのか?ここに居るのなら声を出しなさい」
きっと近所の補導員の声だろう。しかし、その声には多少の恐怖が含まれていることを僕は聞き逃さなかった。確かにあの場所ではどんな大人でも恐怖を感じるだろう。その恐怖とは、現代のようなティーンエイジャーの犯罪、逆ギレというレベルのものではなく、単に深夜の中学校のプールから聞こえてくる声=お化け的な恐怖であると僕は推測する。
「おーい、誰も居ないのか。おじさんは帰るぞぉ」
あまりにも恐怖に満ちた声であった。僕らは息をひそめておじさんが引き返すのを待っている。耳元では蚊の羽音が聞こえたと思ったら、僕の足を刺していてとても痒い。とにかくこんなところで捕まって停学だなんてシャレにならんのだ。
大体、高校生の停学と言えばバイクやタバコが多くのパターンなのに、夜中のプールで泳いで停学とはあまりにもかっこ悪いではないか。そんなことを考えていると、
「おーい、おじさんは怖いから帰るよー」
僕らは吹き出すのを必死にこらえていた。もちろん潜水組にはこのおじさんのおもしろい台詞は聞こえない。
僕は懐中電灯がグランドの真ん中あたりまで遠ざかった頃、潜水組におじさんが帰ったことを伝えると、
「いや、潜水時間が長くて死ぬかと思った」
と言った。
僕らはふたたびプールサイドに寝転がって、天の川を見ながらのんびりと山都の夜を楽しんでいた。
翌日、カフェ「スターダスト」に行くと、僕らが中学校のプールで泳いでいることが、非行少年なんとかの会の人に伝わっていて、今度あそこで泳いだらすぐに高校に通報するといった話を聞いたが、それでも僕らは深夜のプールに通い続けた。
今でも毎年お盆とかで同級生と集まったときは、僕がプールで溺れたこと、水泳大会に出たくないために家出をしたこと、深夜のプール、の話題となり、プールの話題だけで酒が楽しく飲めると言う、無類の酒好きの同級生は、
「最近は肥満解消でプールを歩いているんだよ」
と出っ張ったお腹をさすっているのを見ると、僕らは改めて歳月の流れというものを、ちょっぴり感じるようになってきたのであります。
実を言うと僕は、プールに関して良いエピソードどいうものがまったくなくて、小学校の時に相川の山都二小プールで行われた水泳大会では、クラスのみんなと先生が僕が金槌であるのを承知しながら二十五メートル自由形種目に選出して、僕は最後の最後まで出場することを拒否していたのだけど、それでも逃げる術を知らない僕は大会に出ることになってしまった。
いよいよ当日、僕の番になり「バンッ!」と鉄砲の合図が鳴っても、僕は恐怖のあまり飛び込み台の上で躊躇していると、クラスのみんながおもしろ半分に僕に“泳げ、泳げ”の大コールの大合唱。
僕は何がなんだかわからないうちにプールに飛び込むと、すぐにその場所でボコボコと沈んだまま浮き上がることができず思いっきり溺れてしまい、当時、不良教師と呼ばれていた中川先生がジャージ姿のまま飛び込んで僕をサルベージしたという事件がありました。
僕は少なくとも山都二小のプールの水を5デシリットルは飲んだな。あの時は本気で死ぬかと思ったよ。
中学校になっても僕の金槌ぶりはまったく変わらなくて、やはり毎年のように水泳大会があったのですが、これに出るのが本当に嫌で嫌で、僕は溺れるくらいなら家出をしちまえ!と決め込み、水泳大会当日の朝に家出をして、近くの鉄橋で汽車の写真を撮っていたのです。しかし、家出をした一時間後くらいに大雨が降り出してきたけど、「あの学校のことだ。これぐらいの雨で水泳大会は中止にはしないだろうな・・・」なんて思っていたけど、実は朝の曇り空の時点で水泳大会は中止になっており、そんなことより僕が行方不明になったことで大騒ぎになっていた。学校の先生達が
「あいつの自転車の特徴は?」
「よく行くところは?」
などど仲の良かった友達に聞いていたようで、学校でそんな騒ぎになっているとは思ってなかった僕が夕方になって家に戻ると、母が仕事を早退して家にいて、真剣な顔で
「あんた、どこへ行っていた!!」
と怒られて、そこで初めて僕が行方不明になったことが教育委員会を巻き込む大騒ぎになっていることを聞かされて、事の重大さに気づいたという有様でした。
そして最近になって母から聞いた話では、家出をした直後、僕を気遣った同級生達が僕の家まで迎えに来て、
「一緒にお祭りに行こうぜ」
と誘ってくれたことがあったと教えてくれました。
そんな金槌な僕だったのですが、高校生になるとみんなで川に行って遊ぶことが多くなり、ふざけているうちに急に泳げるようになり、それ以来、水泳とかプールに対して恐怖心というものがまったく消えて自信を付けたのであります。
ここまでが長い前置きです。話しを高校時代に戻します。
ある日、僕が旅行雑誌を読んでいると、とても美しいページが印象に残りました。
時代はバブル全盛期。あちこちの避暑地にはリゾートホテルが乱立し、しょうしゃなホテルの脇にはバスクリンを入れたようなエメラルド・グリーン色のプールがあって、プールサイドのサマーベッドの上ではお嬢さんが寝ころびながらトロピカルなジュースやカクテルなんかを飲んでいるシーンに衝撃を受けて、
「これだ! これからはリゾートだ。今すぐこれを山都で実行しようではないか!」
と決意した。
翌日、僕らはたまり場となっていたカフェ「スターダスト」からインスタントのアイスコーヒーと懐中電灯を仕込んで、さっそく旅行雑誌のマネをしようと企み、僕ら7〜8人で深夜の山都第一中学校のプールに潜入したのです(高校生なので中学校のプールは使用できなかったため)
「懐中電灯はひとり一個持参な」
「おい、誰かに通報されるから大声は出すなよ」
「近所に響くから飛び込みは禁止だぞー」
僕らはフェンスを乗り越えジャージを脱いで海パンになった。空を見上げると天の川がはっきり見える、とても美しく静かな夜だった。
僕らは静かにプールに入り、潜水をしたりのんびりと平泳ぎなんかをして楽しんだ。プールサイドに置かれた懐中電灯の光が、水中から見るととても美しい光へと変化して、まるで深海でダイビングをしているような気分になった。
僕らはプールから上がって休憩をしていると、気の利くやつがプールサイドの脇からすっかり野生化したスイカを持ってきてさっそく食べようぜということになる。
僕は空手チョップのマネをしてスイカをまっ二つに割るつもりでいたけれど、熟れすぎたスイカは木っ端みじんに砕けてしまい、それでもあちこちに散らばったスイカをみんなでムシャムシャと食べていた。その時だ、グランドのほうから懐中電灯の光が見えこちらに近づいてくるのが見えた。
「おい、誰か来たぞ!隠れろ!」
僕らはスイカの皮を放り投げ、僕を含めた2〜3人はプールの脇の草薮に、それ以外の者はプールに潜って身を潜めた。
懐中電灯の光はプールのフェンスまで近づいていた。
「おーい、誰かいるのか?ここに居るのなら声を出しなさい」
きっと近所の補導員の声だろう。しかし、その声には多少の恐怖が含まれていることを僕は聞き逃さなかった。確かにあの場所ではどんな大人でも恐怖を感じるだろう。その恐怖とは、現代のようなティーンエイジャーの犯罪、逆ギレというレベルのものではなく、単に深夜の中学校のプールから聞こえてくる声=お化け的な恐怖であると僕は推測する。
「おーい、誰も居ないのか。おじさんは帰るぞぉ」
あまりにも恐怖に満ちた声であった。僕らは息をひそめておじさんが引き返すのを待っている。耳元では蚊の羽音が聞こえたと思ったら、僕の足を刺していてとても痒い。とにかくこんなところで捕まって停学だなんてシャレにならんのだ。
大体、高校生の停学と言えばバイクやタバコが多くのパターンなのに、夜中のプールで泳いで停学とはあまりにもかっこ悪いではないか。そんなことを考えていると、
「おーい、おじさんは怖いから帰るよー」
僕らは吹き出すのを必死にこらえていた。もちろん潜水組にはこのおじさんのおもしろい台詞は聞こえない。
僕は懐中電灯がグランドの真ん中あたりまで遠ざかった頃、潜水組におじさんが帰ったことを伝えると、
「いや、潜水時間が長くて死ぬかと思った」
と言った。
僕らはふたたびプールサイドに寝転がって、天の川を見ながらのんびりと山都の夜を楽しんでいた。
翌日、カフェ「スターダスト」に行くと、僕らが中学校のプールで泳いでいることが、非行少年なんとかの会の人に伝わっていて、今度あそこで泳いだらすぐに高校に通報するといった話を聞いたが、それでも僕らは深夜のプールに通い続けた。
今でも毎年お盆とかで同級生と集まったときは、僕がプールで溺れたこと、水泳大会に出たくないために家出をしたこと、深夜のプール、の話題となり、プールの話題だけで酒が楽しく飲めると言う、無類の酒好きの同級生は、
「最近は肥満解消でプールを歩いているんだよ」
と出っ張ったお腹をさすっているのを見ると、僕らは改めて歳月の流れというものを、ちょっぴり感じるようになってきたのであります。
さわやかな日
とっても素直な青空と適度な湿度の風がとっても爽やかっす。
こんな気候は年に数える程度しかないんですよね。
ずいぶん前にここで書いた記事を思い出し、我が家にやってきて27〜8年目のメルクリン号の写真です。今なお現役で動くんですよ。

上記の写真とは関係ないのですが、祐天寺の「ナイヤガラ」というカレー店で働く汽車です。食券という切符を買って客車の椅子に座ると、駅長さんがやってきて厨房の機関助手に調理を指示させ、できあがった貨物という名前のカレーや飲み物を貨車に乗せると、「発車しまーす!」と出発指示合図を出すと、汽車がテーブルまで運んでくれます。たまに停車位置を間違えて、となりの席に僕のカレーが運ばれるのはご愛嬌。音声が無い短いムービーだけど見てね。
Beer Train
こんな気候は年に数える程度しかないんですよね。
ずいぶん前にここで書いた記事を思い出し、我が家にやってきて27〜8年目のメルクリン号の写真です。今なお現役で動くんですよ。

上記の写真とは関係ないのですが、祐天寺の「ナイヤガラ」というカレー店で働く汽車です。食券という切符を買って客車の椅子に座ると、駅長さんがやってきて厨房の機関助手に調理を指示させ、できあがった貨物という名前のカレーや飲み物を貨車に乗せると、「発車しまーす!」と出発指示合図を出すと、汽車がテーブルまで運んでくれます。たまに停車位置を間違えて、となりの席に僕のカレーが運ばれるのはご愛嬌。音声が無い短いムービーだけど見てね。
Beer Train
あいつ
早朝の山都町。
二階の窓から外を見ていると、いつものあいつがお相撲さんのような足取りでこちらに向かっている。
あいつは家の門扉の下を上手に潜り、家の縁側に土足で上がり込んで勝手に寝始めた。きっと一晩中酒を飲んで、その後にケンカでもしてきたのだろう。体は傷だらけであちこちがドロまみれになっている。
町民の安全の為にもあいつの風貌をここに記しておく。
常にグレイと白のツートンカラーのジャケットを着用し、体も顔もかなり大きく、ふだんから格闘技をして鍛えていると見た。そたせいか目つきは鋭く、威圧感たっぷりで、あまり友達にはなりたくないタイプであるので、この特徴をよく覚えておいていただきたい。
僕は階下に降りて静かにサッシを開けた。するとあいつは上目づかいでこちらを見ている。僕はあまりの恐怖で思わず冷蔵庫の牛乳を持ってきて、寄せ豆腐が入っていたプラスチックの器に注ぐと、あいつは黙って牛乳を飲み始めた。
「グビグビ」
やつの牛乳の飲み方はお世辞にも美しいとは言えない。
口の周りを白くして、飲んでいる途中に背後の敵を確認するものだから、床のあちこちに口から垂れた牛乳をこぼしている。
寄せ豆腐が入っていたプラスチックに注いだ牛乳が空になった。この間わずか三分である。
あいつは満足そうな顔をしてその場所に腰をおろし、顎を床に付けるように眠ってしまった。このぶんだと午前中いっぱいはここに居座ることだろう。
僕は何事もなかったように静かにサッシを閉めた。
今度、あいつはいつやってくるのだろうか。
二階の窓から外を見ていると、いつものあいつがお相撲さんのような足取りでこちらに向かっている。
あいつは家の門扉の下を上手に潜り、家の縁側に土足で上がり込んで勝手に寝始めた。きっと一晩中酒を飲んで、その後にケンカでもしてきたのだろう。体は傷だらけであちこちがドロまみれになっている。
町民の安全の為にもあいつの風貌をここに記しておく。
常にグレイと白のツートンカラーのジャケットを着用し、体も顔もかなり大きく、ふだんから格闘技をして鍛えていると見た。そたせいか目つきは鋭く、威圧感たっぷりで、あまり友達にはなりたくないタイプであるので、この特徴をよく覚えておいていただきたい。
僕は階下に降りて静かにサッシを開けた。するとあいつは上目づかいでこちらを見ている。僕はあまりの恐怖で思わず冷蔵庫の牛乳を持ってきて、寄せ豆腐が入っていたプラスチックの器に注ぐと、あいつは黙って牛乳を飲み始めた。
「グビグビ」
やつの牛乳の飲み方はお世辞にも美しいとは言えない。
口の周りを白くして、飲んでいる途中に背後の敵を確認するものだから、床のあちこちに口から垂れた牛乳をこぼしている。
寄せ豆腐が入っていたプラスチックに注いだ牛乳が空になった。この間わずか三分である。
あいつは満足そうな顔をしてその場所に腰をおろし、顎を床に付けるように眠ってしまった。このぶんだと午前中いっぱいはここに居座ることだろう。
僕は何事もなかったように静かにサッシを閉めた。
今度、あいつはいつやってくるのだろうか。
蓮の花
友人二人と、会津、いや、全国でもかなり名前が通っている豆腐店に行ってきた。
もちろん、おいしい豆腐を食べるのが目的のひとつでもあるのだけど、今年の初めから入院生活をしていたという豆腐店の親父さんがとても気になって様子を見に行ってきたのだ。
この豆腐店に僕が初めて行ったのは昨年の秋だった。
豆腐店までの道のりは細く曲がりくねった山道の連続で、そこはとてもとても遠い場所に感じていたが、何度か通ううちにすっかりご近所さんの距離感覚になっている自分に驚く。
豆腐店に着くと、僕らは神社に参拝するときのように、こんこんと湧き出ている水で手を荒い、口を清める。
決して自分の舌に自信がない僕だけど、ほんのり甘くトロっとしたおいしい水であることが簡単に判る。
店に入ると、これまた自然体で肩の力が抜けた会津のおばさんの接客に心が和み、決して新しくないトイレも手入れが行き届き、この店のスタンスが一瞬で読み取れる。
座敷に通されると、僕らは豆腐と厚揚げ、デザートには豆腐アイスクリームが乗っているホットコーヒーを頼んだ。敢えて味は書かないけど、昨今のガソリン代を考えても、また行きたいという味であるのは確かだ。
しばらくすると、ゆっくりとした足取りで階段を降りてくる豆腐店の親父さんと目が合う。
「らっしゃい」
親父さんはボソっと言いながら作業場のほうに向かって行った。
その間、ここの豆腐を目的とした観光客は絶えない。次々に車で訪れては、みんな楽しそうに豆腐を買っている。
数々のおいしい豆腐をいただいた僕らは、お土産用の豆腐などを買い求めていると、僕らに気づいた豆腐店の親父さんが
「ん?前に見た顔だな。昨年、来たよな」
と鋭い眼差しで僕らに声をかけてきた。
この親父さん、本のインタビューにも自ら告白している通り、昔は相当のワルであると容易に想像ができる。前記したように、鋭い眼差し、口調、仕草、すべてが筋金入りなのである。しかし、自らワルを告白するという裏側には、どこかデリケートで優しい男であるとも読み取れ、とにかく、この親父さんの奥深さというものに僕の興味は尽きない。
ずっと昔の話だけど、ある大物タレントさんがバイクで事故を起こし、こっちとあっちの境を彷徨った後、まるで何かが舞い降りたような顔つきになってきたのととても似ているのだ。
「若い時に事故で足をダメにしちまってな。ま、そんな古い話はいいけれど、今年になって爆弾かかえた足を滑らせて転倒し長期入院。また、あっち側へ行きそうになっちまったよ。おまけに誰も顔出しに来ないし、店の連中ももう俺が帰ってこないと思って荷物の整理をしたと言うしな。ガハハ。ま、コーヒーでも飲めや。俺、お客さんに会うのが楽しみなんだよ。ま、こんな俺だけど、また懲りずに来てくれや」
親父さんはそう言うと、ポケットから煙草を取り出して火を着け、どこか遠くのほうを見つめている。
僕らは親父さんに挨拶をして、入店したときと同じように店頭のほんのり甘くてトロっとした湧き水をいただいた。
ふと視線をそらすと店の脇にはたくさんの蓮が育てられており、その中にひときわ大きく美しい一輪の蓮の花が咲いていることに気づき、僕らは顔を見合わせて豆腐店を後にした。
もちろん、おいしい豆腐を食べるのが目的のひとつでもあるのだけど、今年の初めから入院生活をしていたという豆腐店の親父さんがとても気になって様子を見に行ってきたのだ。
この豆腐店に僕が初めて行ったのは昨年の秋だった。
豆腐店までの道のりは細く曲がりくねった山道の連続で、そこはとてもとても遠い場所に感じていたが、何度か通ううちにすっかりご近所さんの距離感覚になっている自分に驚く。
豆腐店に着くと、僕らは神社に参拝するときのように、こんこんと湧き出ている水で手を荒い、口を清める。
決して自分の舌に自信がない僕だけど、ほんのり甘くトロっとしたおいしい水であることが簡単に判る。
店に入ると、これまた自然体で肩の力が抜けた会津のおばさんの接客に心が和み、決して新しくないトイレも手入れが行き届き、この店のスタンスが一瞬で読み取れる。
座敷に通されると、僕らは豆腐と厚揚げ、デザートには豆腐アイスクリームが乗っているホットコーヒーを頼んだ。敢えて味は書かないけど、昨今のガソリン代を考えても、また行きたいという味であるのは確かだ。
しばらくすると、ゆっくりとした足取りで階段を降りてくる豆腐店の親父さんと目が合う。
「らっしゃい」
親父さんはボソっと言いながら作業場のほうに向かって行った。
その間、ここの豆腐を目的とした観光客は絶えない。次々に車で訪れては、みんな楽しそうに豆腐を買っている。
数々のおいしい豆腐をいただいた僕らは、お土産用の豆腐などを買い求めていると、僕らに気づいた豆腐店の親父さんが
「ん?前に見た顔だな。昨年、来たよな」
と鋭い眼差しで僕らに声をかけてきた。
この親父さん、本のインタビューにも自ら告白している通り、昔は相当のワルであると容易に想像ができる。前記したように、鋭い眼差し、口調、仕草、すべてが筋金入りなのである。しかし、自らワルを告白するという裏側には、どこかデリケートで優しい男であるとも読み取れ、とにかく、この親父さんの奥深さというものに僕の興味は尽きない。
ずっと昔の話だけど、ある大物タレントさんがバイクで事故を起こし、こっちとあっちの境を彷徨った後、まるで何かが舞い降りたような顔つきになってきたのととても似ているのだ。
「若い時に事故で足をダメにしちまってな。ま、そんな古い話はいいけれど、今年になって爆弾かかえた足を滑らせて転倒し長期入院。また、あっち側へ行きそうになっちまったよ。おまけに誰も顔出しに来ないし、店の連中ももう俺が帰ってこないと思って荷物の整理をしたと言うしな。ガハハ。ま、コーヒーでも飲めや。俺、お客さんに会うのが楽しみなんだよ。ま、こんな俺だけど、また懲りずに来てくれや」
親父さんはそう言うと、ポケットから煙草を取り出して火を着け、どこか遠くのほうを見つめている。
僕らは親父さんに挨拶をして、入店したときと同じように店頭のほんのり甘くてトロっとした湧き水をいただいた。
ふと視線をそらすと店の脇にはたくさんの蓮が育てられており、その中にひときわ大きく美しい一輪の蓮の花が咲いていることに気づき、僕らは顔を見合わせて豆腐店を後にした。
アイヌの涙
テレビで見た方も多いと思いますが、<アイヌの涙>という印象的な名前の青色の小瓶を友人からいただきました。
昔から北海道が大好きな僕は、<アイヌ><涙>という意外な言葉の組み合わせの商品名に、とても興味を持ったのですが、この <アイヌの涙>の中身は北海道産のハッカ油のエッセンス・オイルなのであります。
さっそく<アイヌの涙>を入れて入浴を試してみましょう。
説明書によると「5滴以上は入れないで下さい」と厳しく書いてあるのですが、いつものお約束通り、僕は慎重に小瓶を持って、浴槽に10滴ほどドボドボと入れると、浴室はまるでお口の恋人ロッテ状態になり、目と鼻を結ぶ県道は一気にアウトバーンに昇格し、ようやくここで事の重大さを思い知ることになるののですだが、もう裸になってしまった僕は思い切ってお風呂にザブンするしかない。
「あぁ、しみる」
それしか言葉が出なかった。
口を少しでも動かすと余計な呼吸のお陰で脳ミソの奥にハッカが染み渡り、<アイヌの涙>を入れたお風呂の床は、僕の涙ですっかり濡れていたのだが、不思議なことに時間が経つにつれてハッカの香りに慣れたというより麻痺している。
それでもとても気持ちよい汗が滝のようにザーザーと落ちてくるので良しとしよう。
<アイヌの涙>のお陰で身と心からすっかりサビを出しきった僕は勢いよくお風呂から上がったのだけど、その瞬間、浴室は一気に元気な白クマくんが徘徊する、昨今の地球温暖化とはまったく無縁なバリバリの昔の北極となり、そんな北極の中で僕はバスタオルにくるまって悶絶している。
パソコンだとまったくこの寒さが伝わらないのがしゃくだけど、きちんと説明書通りの量を入れたときには、あなたのお部屋がどんなに南国の雨期のような湿気っぽい梅雨の季節であっても、およげたいやき君が焼かれている鉄板の上のようなうだるような真夏の暑さであっても、この<アイヌの涙>で、あなたのお部屋は爽やかな風が吹く避暑地に変身し、nomoreエアコンになり、電気代のセーブも期待できるのです。でも、宣伝じゃないですよ。

昔から北海道が大好きな僕は、<アイヌ><涙>という意外な言葉の組み合わせの商品名に、とても興味を持ったのですが、この <アイヌの涙>の中身は北海道産のハッカ油のエッセンス・オイルなのであります。
さっそく<アイヌの涙>を入れて入浴を試してみましょう。
説明書によると「5滴以上は入れないで下さい」と厳しく書いてあるのですが、いつものお約束通り、僕は慎重に小瓶を持って、浴槽に10滴ほどドボドボと入れると、浴室はまるでお口の恋人ロッテ状態になり、目と鼻を結ぶ県道は一気にアウトバーンに昇格し、ようやくここで事の重大さを思い知ることになるののですだが、もう裸になってしまった僕は思い切ってお風呂にザブンするしかない。
「あぁ、しみる」
それしか言葉が出なかった。
口を少しでも動かすと余計な呼吸のお陰で脳ミソの奥にハッカが染み渡り、<アイヌの涙>を入れたお風呂の床は、僕の涙ですっかり濡れていたのだが、不思議なことに時間が経つにつれてハッカの香りに慣れたというより麻痺している。
それでもとても気持ちよい汗が滝のようにザーザーと落ちてくるので良しとしよう。
<アイヌの涙>のお陰で身と心からすっかりサビを出しきった僕は勢いよくお風呂から上がったのだけど、その瞬間、浴室は一気に元気な白クマくんが徘徊する、昨今の地球温暖化とはまったく無縁なバリバリの昔の北極となり、そんな北極の中で僕はバスタオルにくるまって悶絶している。
パソコンだとまったくこの寒さが伝わらないのがしゃくだけど、きちんと説明書通りの量を入れたときには、あなたのお部屋がどんなに南国の雨期のような湿気っぽい梅雨の季節であっても、およげたいやき君が焼かれている鉄板の上のようなうだるような真夏の暑さであっても、この<アイヌの涙>で、あなたのお部屋は爽やかな風が吹く避暑地に変身し、nomoreエアコンになり、電気代のセーブも期待できるのです。でも、宣伝じゃないですよ。

麺のはなし
ちょっと古い話ですが備忘録ということで記します。今日の備忘録は1983年頃の言葉の記憶です。
1983年当時、「ラーメン」という言葉は僕にとって袋入りの「インスタントラーメン」という意味でした、と強く断言する事柄でもないので、敢えて、「僕にとって」とクッションを入れているのですが、実際このエリアで青春を送ったR35世代にとっては、かなり心当たりがある言葉なんじゃないかと思います。
カップラーメンは何て呼んでいたのかと言うと、そのまま「カップラーメン」、もしくは商標にもなっている「カップヌードル」と呼んでいましたので、当町の隣町の全国的に有名な「ラーメン」のことを「中華そば」や「支那そば」と呼び、これを短縮して「そば」と呼んでおりました。
もちろん、この言葉の中にはデリカシーの無さや差別というエッセンスは不添加であることを付け加えておきましょう。
さて、この「そば」というものはハレの時の食事であり、親戚が来た時、学校の先生が家庭訪問しに来た時、高校合格といった人生の竹の節目のときにしか食することができず、「そば」の出前を取ったということは、その家庭で何か重大なことが起きている、という意味を表していました。
次に当町が全国に誇る「そば」のことを何て呼んでいたのかと申しますと、そんな言葉がどうのこうの言う前に、「そば」自体を供するお店は、この町には一件も無かったのであります。いや、商売は抜きにして、実際にはかなり昔から中反や宮古部落の猫の額のような土地で少数ながら生産しており、部落内で流通で細々と食されていたのですが、現在の状況とはかなり様子が違うのは確かです。
なので現在の「そば」と「中華そば」はが誤認されないように、「そば」の前に「日本」や「ざる」といった冠を付けて判別しやすいように呼んでいました。
「日本そば」や「ざるそば」を食べたいと思った時は、国道49号沿いの水車がクルクル回っていそうなドライブインか駅の立食いスタンドに足を運ばなくてはなりませんでしたので、当町の「そば」は1980年代中期に彗星のことく現れた、英国のニューウェーブという音楽ジャンルに似ているような気がします。
あまりにもややこしくて、役に立たない備忘録かもしれないけど、町内の「そば」がツーリストだけのものだけではなく、早く町の人たちにとってリアルなハレの食事になって、本当の意味でソウルフードになって欲しいな、と梅雨空の雲の向こうの星に願うばかりでございます。
そう言えば今年は雨が降らない梅雨ですね。
1983年当時、「ラーメン」という言葉は僕にとって袋入りの「インスタントラーメン」という意味でした、と強く断言する事柄でもないので、敢えて、「僕にとって」とクッションを入れているのですが、実際このエリアで青春を送ったR35世代にとっては、かなり心当たりがある言葉なんじゃないかと思います。
カップラーメンは何て呼んでいたのかと言うと、そのまま「カップラーメン」、もしくは商標にもなっている「カップヌードル」と呼んでいましたので、当町の隣町の全国的に有名な「ラーメン」のことを「中華そば」や「支那そば」と呼び、これを短縮して「そば」と呼んでおりました。
もちろん、この言葉の中にはデリカシーの無さや差別というエッセンスは不添加であることを付け加えておきましょう。
さて、この「そば」というものはハレの時の食事であり、親戚が来た時、学校の先生が家庭訪問しに来た時、高校合格といった人生の竹の節目のときにしか食することができず、「そば」の出前を取ったということは、その家庭で何か重大なことが起きている、という意味を表していました。
次に当町が全国に誇る「そば」のことを何て呼んでいたのかと申しますと、そんな言葉がどうのこうの言う前に、「そば」自体を供するお店は、この町には一件も無かったのであります。いや、商売は抜きにして、実際にはかなり昔から中反や宮古部落の猫の額のような土地で少数ながら生産しており、部落内で流通で細々と食されていたのですが、現在の状況とはかなり様子が違うのは確かです。
なので現在の「そば」と「中華そば」はが誤認されないように、「そば」の前に「日本」や「ざる」といった冠を付けて判別しやすいように呼んでいました。
「日本そば」や「ざるそば」を食べたいと思った時は、国道49号沿いの水車がクルクル回っていそうなドライブインか駅の立食いスタンドに足を運ばなくてはなりませんでしたので、当町の「そば」は1980年代中期に彗星のことく現れた、英国のニューウェーブという音楽ジャンルに似ているような気がします。
あまりにもややこしくて、役に立たない備忘録かもしれないけど、町内の「そば」がツーリストだけのものだけではなく、早く町の人たちにとってリアルなハレの食事になって、本当の意味でソウルフードになって欲しいな、と梅雨空の雲の向こうの星に願うばかりでございます。
そう言えば今年は雨が降らない梅雨ですね。
夏至なのです。
夏至になった、もう夏だ。
女子との出会い、編集したカセット、扇風機、団扇、高校野球、キャンプ、各種花火、爆竹、肝油、肝油申し込みの薄い注文用紙、ラジオ体操(その前の番組「人生読本」も必聴)、ラジオ体操の判子を押す台紙、虫取り網、虫かご、昆虫採集セット(青色と赤色の毒々しい薬品入り)、カブトムシ、ノコギリ、コクワ、ミヤマ、ビダ、コカブトムシ、ショウリョウバッタ、トノサマバッタ、オニヤンマ、コフキコガネ、タガメ、ガムシ、ゲンゴロウ、ミズスマシ、シロスジカミキリ、ヤママユガ、オオミズアオ、ドクガ、オオムラサキ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、クマゼミ、チッチゼミ、刺し、毛針、ハヤ、オイカワ、カジカ、朝顔、夕顔、ひまわり、ジャズフェス、豊年踊り、アメリカンドック、金魚すくい、カメすくい、チクチク、射的、物江食料品店のかき氷、きょろちゃん、補習授業、一学期末で切れた定期券、ディーゼル急行列車、ディーゼル特急列車、夜行急行、車内販売、駅弁、ポンジュース、ペットショップボーイズ、Level 42、高中、シャカタク、メゾフォルテ、エクタクローム、コダクローム、トライX、飯豊山登山、北海道旅行、ユースホステル、駅のスタンプ、駅の入場券、周遊券、ラッキー・ストライク、女子との別れ。二学期始業式(泣)
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