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1980年代の磐越西線と山都町の周囲のこと

山都町の生いたち

 山都町の生いたち
 大化の改新によって、国府が設置された頃(718年)の本町は、陸奥国石背国司の統治下にあったが、政治の移り変わり、時勢の変遷によって官付会津国府の領下となり、平安時代には一時、寺侍代官(恵日寺=現在の磐梯町)の領下になったこともあるが、鎌倉時代にはいって源頼朝の重臣、佐原義連が会津を治め以後、封建時代経て明治維新に至るまで、会津藩の領地として統治されてきた。
 明治元年王政復古によって政治形態が大きく変わり、各地に民政局が設けられたが、当時は小田付民政局(現在の喜多方市)に属し、同5月施政改革によって府県制がしかれ若松県に所属したが、同9年8月若松県が廃され福島県に合併された。
 明治16年4月になって山都村外11ヵ村戸長役場が設けられ、初の官選戸長がおかれた。また同21年に町村制が実施され、ようやくにして地方自治を確立、それまでの小幡村と蓬莱村が合併して小幡村となり、小舟寺村と一川村が合併して小川村を形成した。
 明治25年4月、山都村、小幡村、小川村が合併して、はじめて町制がしかれ「山都町」となり、同29年3月には町村合併促進法によって、相川村外3ヵ村組合が合併、翌30年3月に千咲村が合併、現在の山都町となり、名実ともに進展をとげながら現在に至っている。

 自然
 山都町は福島県の西北に位置し、東は喜多方市、西は西会津町に連なり、南は阿賀川をはさんで会津坂下町、高郷村と境する。
 北は磐梯朝日国立公園の飯豊連峰(2105m)によって新潟、山形両県と接している。地勢は大部分が山地で、総面積の80%以上を占め、北部飯豊山麓を源にして発する幹流一ノ戸川が町の中央を横断し、途中早稲谷川、五枚沢川、宮古川をあわせて、町の南部を横断する阿賀川に合流する。
 耕地は南部平坦部と各河川流域に点在しているが、その地形は段状又は傾斜地で分散しているものが多く、その大部分は複雑な山林地帯である。
 
 広ぼう
 東西89km・南北20.1km

主な山岳
 飯豊山 (2105m)
 西ヶ岳 (2012m)
 種蒔山 (1792m)
 三国岳 (1631m)
 地蔵山 (1485m)
 牛が岩山 (1401m)
 代塚山 (1231m)

 物産 
 桐下駄 なめこ


 「祝 合併20周年記念 山都町のあゆみ 山都町町長 唐橋重政 昭和48年12月18日発行」より。

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