磐越西線
前に住んでいた木曽の家は、一ノ戸川橋りょうを渡る汽車の音が聞こえるところで、その音が時計代わりになっていた。
当時の磐越西線は蒸気機関車は引退した後で、僕らが「汽車」と呼んでいたディーゼル機関車や気動車の多くが現役を引退し、沿線の駅や保線管理室は合理化で無人化され、昔の磐越西線を語ってくれる職員さんも居なくなってしまった。
当時はお小遣いや情報も少なく、冬は雪を漕いで、夏は虫に刺されながら、親から借りたカメラをぶら下げて中学の先輩と自転車や徒歩で線路端に通ったことが忘れられなく、1980年代初頭の稚拙で保存状態も悪い磐越西線の写真と思い出話を、これから少しずつ掲載してゆきたいと思います。
当時の磐越西線は蒸気機関車は引退した後で、僕らが「汽車」と呼んでいたディーゼル機関車や気動車の多くが現役を引退し、沿線の駅や保線管理室は合理化で無人化され、昔の磐越西線を語ってくれる職員さんも居なくなってしまった。
当時はお小遣いや情報も少なく、冬は雪を漕いで、夏は虫に刺されながら、親から借りたカメラをぶら下げて中学の先輩と自転車や徒歩で線路端に通ったことが忘れられなく、1980年代初頭の稚拙で保存状態も悪い磐越西線の写真と思い出話を、これから少しずつ掲載してゆきたいと思います。














