リバーサイドにて
日にちが経ってしまいましたが、今週の火曜日、なんと先日の日記に登場した憧れの先輩であるMちゃんとセースくんと一緒に食事することになりました。
こんなビッグプレゼントを下さったお天道さまとプチ同窓会のセッティングをしてくれたセースくん、本当にありがとうございました。そして僕らの喜びを応援するかのごとく、柳沢慎吾のような店長さんから、まさかの刺身の盛り合わせがビッグにプレゼントされ、プチ同窓会の宴に華を添えたのであります。
それにしても、セースくんはのっけから深夜のAMラジオのDJのようなトークを連発し、Mちゃんからはマジソン・スクエアー・ガーデンのせんべいバッグに染み込んだ、ちょっぴり大人な資生堂柑橘系のコロンの香りがほんのりと漂ってくるのであります。本当に凄すぎるぜ、中学三年生。
でも、僕はここで無駄な抵抗をしてはいけない。今夜はそんな二人の中三オーラにどっぷりと包まれて、わずかな時間だけど、僕を限りなく中一に戻してほしいのです。
そう、あの輝かしくもちょっぴり甘く、切なく、恥ずかしく、とっても不安で、時として恐怖さえ感じた行き場のない田舎町の15歳の夜から、もう27年もの歳月が流れているのです。
僕らは昔から頭のてっぺんから足の爪の先まで何でも知っている仲なのです。肩書きも名刺も何も必要はありません。そこにあるのは、あの田舎の中学校で過ごした、とても長くて短い三年間だけなのです。
甘いカクテルと山都産のそば焼酎の酔いに身を任せていると、みんなの話題は必然的に昔話となり、普段は無口で小心者でシャイで人見知りで引きこもりの僕も三流役者よろしくの身振り手振りを交えての一人喜劇をしてしまう。
そう、やっぱり出ちゃうんだよなぁ、昔話。
例えば、まさかのあいつから卒業式にラブレターを貰ったとか、男子先輩に告白されて断ったら取り巻きに絡まれたとか、先生の湯のみ茶碗をゴミ箱に捨てたとか、寄宿舎の床の下はモクモクでいっぱいだったとか、給食当番が給食室からみかんを持ってくるのを忘れて昼休みに体育館のギャラリーでみかんを食べているところに小太りの保健室の先生がやってきてしつこく追い回されたりとか、写生会は一日中散歩しただけで棒一本を描いて終わったとか、山都二小のプールで溺死しそうになったとか、あまりにも新米先生がかわいいのでひとりにさせてあげたら教育委員会で問題になって気がついたらその先生が息子の学校にいたとか、弁当に納豆を入れてハレンチなことをした先生だとか、担任のミーコが「先生の言うこと聞かないと、化粧取るわよ」って言ったとか、オグオの情操教育だとか、足が速いインド人とか、見方にしても良いことがなく敵にすると最悪なヤス○くんの過去と現在の武勇伝とか、女なのにブッチャーだとか、とにかくなんだかいろいろ出て来て、こんな話しをしていると時間と文字は無限にあっても足りないくらいです。
そんな話しをしていると時計はとっくに午前を過ぎている。座りっぱなしで縮んだ腰も伸ばしたい。外の空気も吸いたい。さあ、お店を出よう。
僕らは外に出てから背伸びをする。それは身の丈以上のことをする背伸びではなく、深呼吸すること背伸びのことを言う。
明日は仕事なのに夜遅くまでつき合ってくれたタイジと再会を約束してから代行の車のテールランプを見届けると、僕らは路上の人となる。
でも、どうしてだろう。僕らは家に帰りたくないのだ。家に帰りたくない宴ってそうそうあるものではない。そんな様子を察した市内在住のMちゃんが、
「家でコーヒーでも飲んで行けば。ネコが四匹いるけどネ」
と嬉しすぎる提案をしていただく。
「でも、悪いっすよ・・・」
なんてこれっぽっちしか思わなかった僕は心の中は、ネコがいようが、毒ヘビが50匹いて指を噛まれて救急車に乗せられ退院後にパトカーに乗せられたとしても、行く気持ちだけは確実に120%はある。
Mちゃんの家はここから車で数分という至近距離らしい。僕は車の中でドキドキが始まる。深夜のMちゃんの家って、これって僕が高校一年生の夏にお邪魔した以来の出来事ではないかい?
車は広い駐車場に到着する。そこには白の外車のワゴン車が駐車しており、Mちゃんの趣味のよさが手に取るようにわかる。
僕らは川沿いの小径をMちゃんの後になってゾロゾロ歩く。
「着いたわよ」
僕らは固唾を飲んで玄関に入ろうとすると、足下にはダムのせき止めみたいな板が立てかけてある。
どうやら、ここで飼っているやんちゃんなネコの脱走防止柵らしい。中に入ると悠々自適のシャム、ひとなつっこい赤、雪見だいふくのような白、典型的な日本ネコの三毛が僕らを歓迎してくれた。
「ニャオ」
ドアの裏側には「ネコが脱走したら、全裸で神明ダッシュ!」という張り紙がある。
やられた。銘コピーである。
文中の「全裸」という文字がここのネコのすばしこさと体育会系家庭を象徴している。
居間に通されると、中央には古木を利用したテーブル、天井にはキャットウォーク、壁のあちこちにはファミリーの写真と趣味のよい絵が飾られ、CDコレクションはアダルト且つアーバンな英国R&Bが中心だ。
キッチンでコーヒーの仕込みをするMちゃん。
部屋の中にほどよく香るヴァニラのフレーバー、ポタポタとビーカーに落ちるコーヒーの音、全てがパーフェクトすぎる空間。
Mちゃんが古木のテーブルにコーヒーを持ってきた。僕らはミルクと砂糖(名前失念)に大感激。もう、ここはプライベートなカフェなのだ。
コーヒーを飲みながら、さっきの昔話しの続きになりかけたけど、店を出てテンションも体温も普段通りに戻った僕らは、あの人は今・・・的な話をしていた。
それにしても目の前の中学三年生、あれから27年も経つのに昔とちっとも変わっていない。変わっていないどころか昨日より確実に若くなっている。
この部屋はカフェ「リバーサイド」というだけあって、部屋には川の流れる涼しい音が聞こえてきて、ひまわりが見える網戸の向こうでは秋の虫が鳴き、ほんのり冷たい秋の風が入ってくる。
こうしてみんなが集まって、夏休みのキャンプのような楽しい夜を過ごすことができるなんて夢にも思わなかった。
暦も会津の気候もすっかり秋だけど、この夜は、あまりにも短くはかない線香花火のような夏を楽しんだように思えた。
ありがとう、先輩。

数年前に青島文化教材社という会社から出たホーロー看板のミニチュア。もちろん全部集めました。
こんなビッグプレゼントを下さったお天道さまとプチ同窓会のセッティングをしてくれたセースくん、本当にありがとうございました。そして僕らの喜びを応援するかのごとく、柳沢慎吾のような店長さんから、まさかの刺身の盛り合わせがビッグにプレゼントされ、プチ同窓会の宴に華を添えたのであります。
それにしても、セースくんはのっけから深夜のAMラジオのDJのようなトークを連発し、Mちゃんからはマジソン・スクエアー・ガーデンのせんべいバッグに染み込んだ、ちょっぴり大人な資生堂柑橘系のコロンの香りがほんのりと漂ってくるのであります。本当に凄すぎるぜ、中学三年生。
でも、僕はここで無駄な抵抗をしてはいけない。今夜はそんな二人の中三オーラにどっぷりと包まれて、わずかな時間だけど、僕を限りなく中一に戻してほしいのです。
そう、あの輝かしくもちょっぴり甘く、切なく、恥ずかしく、とっても不安で、時として恐怖さえ感じた行き場のない田舎町の15歳の夜から、もう27年もの歳月が流れているのです。
僕らは昔から頭のてっぺんから足の爪の先まで何でも知っている仲なのです。肩書きも名刺も何も必要はありません。そこにあるのは、あの田舎の中学校で過ごした、とても長くて短い三年間だけなのです。
甘いカクテルと山都産のそば焼酎の酔いに身を任せていると、みんなの話題は必然的に昔話となり、普段は無口で小心者でシャイで人見知りで引きこもりの僕も三流役者よろしくの身振り手振りを交えての一人喜劇をしてしまう。
そう、やっぱり出ちゃうんだよなぁ、昔話。
例えば、まさかのあいつから卒業式にラブレターを貰ったとか、男子先輩に告白されて断ったら取り巻きに絡まれたとか、先生の湯のみ茶碗をゴミ箱に捨てたとか、寄宿舎の床の下はモクモクでいっぱいだったとか、給食当番が給食室からみかんを持ってくるのを忘れて昼休みに体育館のギャラリーでみかんを食べているところに小太りの保健室の先生がやってきてしつこく追い回されたりとか、写生会は一日中散歩しただけで棒一本を描いて終わったとか、山都二小のプールで溺死しそうになったとか、あまりにも新米先生がかわいいのでひとりにさせてあげたら教育委員会で問題になって気がついたらその先生が息子の学校にいたとか、弁当に納豆を入れてハレンチなことをした先生だとか、担任のミーコが「先生の言うこと聞かないと、化粧取るわよ」って言ったとか、オグオの情操教育だとか、足が速いインド人とか、見方にしても良いことがなく敵にすると最悪なヤス○くんの過去と現在の武勇伝とか、女なのにブッチャーだとか、とにかくなんだかいろいろ出て来て、こんな話しをしていると時間と文字は無限にあっても足りないくらいです。
そんな話しをしていると時計はとっくに午前を過ぎている。座りっぱなしで縮んだ腰も伸ばしたい。外の空気も吸いたい。さあ、お店を出よう。
僕らは外に出てから背伸びをする。それは身の丈以上のことをする背伸びではなく、深呼吸すること背伸びのことを言う。
明日は仕事なのに夜遅くまでつき合ってくれたタイジと再会を約束してから代行の車のテールランプを見届けると、僕らは路上の人となる。
でも、どうしてだろう。僕らは家に帰りたくないのだ。家に帰りたくない宴ってそうそうあるものではない。そんな様子を察した市内在住のMちゃんが、
「家でコーヒーでも飲んで行けば。ネコが四匹いるけどネ」
と嬉しすぎる提案をしていただく。
「でも、悪いっすよ・・・」
なんてこれっぽっちしか思わなかった僕は心の中は、ネコがいようが、毒ヘビが50匹いて指を噛まれて救急車に乗せられ退院後にパトカーに乗せられたとしても、行く気持ちだけは確実に120%はある。
Mちゃんの家はここから車で数分という至近距離らしい。僕は車の中でドキドキが始まる。深夜のMちゃんの家って、これって僕が高校一年生の夏にお邪魔した以来の出来事ではないかい?
車は広い駐車場に到着する。そこには白の外車のワゴン車が駐車しており、Mちゃんの趣味のよさが手に取るようにわかる。
僕らは川沿いの小径をMちゃんの後になってゾロゾロ歩く。
「着いたわよ」
僕らは固唾を飲んで玄関に入ろうとすると、足下にはダムのせき止めみたいな板が立てかけてある。
どうやら、ここで飼っているやんちゃんなネコの脱走防止柵らしい。中に入ると悠々自適のシャム、ひとなつっこい赤、雪見だいふくのような白、典型的な日本ネコの三毛が僕らを歓迎してくれた。
「ニャオ」
ドアの裏側には「ネコが脱走したら、全裸で神明ダッシュ!」という張り紙がある。
やられた。銘コピーである。
文中の「全裸」という文字がここのネコのすばしこさと体育会系家庭を象徴している。
居間に通されると、中央には古木を利用したテーブル、天井にはキャットウォーク、壁のあちこちにはファミリーの写真と趣味のよい絵が飾られ、CDコレクションはアダルト且つアーバンな英国R&Bが中心だ。
キッチンでコーヒーの仕込みをするMちゃん。
部屋の中にほどよく香るヴァニラのフレーバー、ポタポタとビーカーに落ちるコーヒーの音、全てがパーフェクトすぎる空間。
Mちゃんが古木のテーブルにコーヒーを持ってきた。僕らはミルクと砂糖(名前失念)に大感激。もう、ここはプライベートなカフェなのだ。
コーヒーを飲みながら、さっきの昔話しの続きになりかけたけど、店を出てテンションも体温も普段通りに戻った僕らは、あの人は今・・・的な話をしていた。
それにしても目の前の中学三年生、あれから27年も経つのに昔とちっとも変わっていない。変わっていないどころか昨日より確実に若くなっている。
この部屋はカフェ「リバーサイド」というだけあって、部屋には川の流れる涼しい音が聞こえてきて、ひまわりが見える網戸の向こうでは秋の虫が鳴き、ほんのり冷たい秋の風が入ってくる。
こうしてみんなが集まって、夏休みのキャンプのような楽しい夜を過ごすことができるなんて夢にも思わなかった。
暦も会津の気候もすっかり秋だけど、この夜は、あまりにも短くはかない線香花火のような夏を楽しんだように思えた。
ありがとう、先輩。

数年前に青島文化教材社という会社から出たホーロー看板のミニチュア。もちろん全部集めました。
会津若松の並走区間
1982年のある日、山都駅8時31分発の汽車に乗る。
僕の乗った汽車が会津若松駅手前の国道49号線の下をくぐる手前あたりから、郡山からやって来た汽車が見えてくる。
お互いの汽車は都会の京浜東北線と山手線のように約1キロほど並走する。
どちらの汽車も同じスピードで走っているので機関士も密かに並走を楽しんでいるのかも知れない。
郡山からの汽車の中でワンカップを飲みながら気分よく酔っぱらっているおじさんに僕は手を振る。それに気付いたおじさんはパッと目を輝かせ、慌てて窓を大きく開け、何を思ったのか思いっきり僕のほうへ手を伸ばして一本のさきいかを渡してくれた。それを見ていた母親が、
「お前、あのおじさん知っているのかい?」
「うん。知らない」
僕とおじさんを乗せた汽車はしばし並走し、静かに会津若松駅のホームに滑り込む。
僕以上にワーワーと子供のように叫んでいた酔っぱらいのおじさんの顔がいつまで経っても忘れられない。
僕は磐越西線沿線で一番多くの汽車が通る、この並走区間近くの住民がとても羨ましく感じた。
例えば新潟発郡山行の汽車があるとする。そこの住民は、新潟から会津若松に到着する時、そして会津若松から郡山へ発車する時の計二回、同じ汽車を見られるのだ。
つまり二度おいしい区間なのであります。
1982年、僕は以前から気になっていたこの並走区間を訪れた。
会津若松駅の裏手にまわって住宅地をしばらく歩いていると山田漆器会館の赤い看板が見えてくる。あたりをつけて民家の軒先を忍び足で通り抜ける。すると無事に線路に出た。
山都駅あたりとは違って、ここは汽車の本数が多いので、汽車にはねられないように気をつけながら線路端を歩く。

会津若松駅12時29分発229列車新潟行。
喜多方に通っていた山都や野沢などの下り方面の高校生は、土曜日はこの汽車のお世話になる。

会津若松駅12時38分発226列車郡山行。


列車番号不明。貨物列車です。

1292列車。機関車の後ろの貨車には木材が積んである。

会津若松駅13時17分到着1229D。
郡山〜会津若松の電化区間だけを走るディーゼルカー。しかも、急行型の車両を普通列車で使っています。

会津若松駅13時35分到着228D。このディーゼルカーの所属は新潟。郡山方面には向かわず、すぐに新潟行として折り返す。ガラスに人影が見えるが、若手運転士の師匠さんかも知れない。



1297列車。貨物です。ED77形電気機関車の重連。




上野発新潟行の1101D急行「いいで」
会津若松駅13時59分到着。13分停車の間に車両を切り離し4両にする。14時12分に発車し、遠く越後をめざす。


1298列車。貨物です。
現在、磐越西線には貨物列車は一本も走っていない。今のダイユー8の場所は貨物線だった。でも、今でも会津若松駅には貨物駅がある。肝心の貨物は汽車ではなくトラックで運ぶらしい。

会津若松での撮影を終えて、会津若松駅15時42分発233列車新津行で山都に帰る。
向かいのホームには会津若松駅15時28分発4208M急行「ばんだい8号」が停車中。帰省客と観光客だろうか、大きな荷物を携え一列に並んでドアが開くのを待っている。新幹線が無い時代、この急行は上野に20時36分に着く。東京は遠かった。

山都駅に戻ってくる。なんだかホッとした。家に帰らず山都駅で遊んでいた。
ちょうど山都駅18時04分発915D急行「あがの3号」仙台行(福島〜仙台間普通)が到着。

自転車置き場方面近くの旧貨物線に降りて、汽車のタブレットの受け渡しを写そうと思った。でも、写真が出来上がるとシャッターチャンスを思いっきり外している。才能無いな。
当時の山都駅は駅員さんの愛情が注がれていた。カンナの花が美しく、リヤカーが懐かしい。
山都駅18時29分発235列車新潟行。部活動をしている喜多方の高校生はこの汽車で帰ってくる。


汽車の写真を撮っていると、
「おーい」
という声。
荷物車の重いドアが開いた。
「おーい、俺を写してくれよー。写真、後でちょうだいよー。家は君の家から近いぞー」
僕はびっくりした。君の家の近くだって? ま、いいか、写そう。
この車両はスユニ50といって、荷物と郵便が積んでいる。
僕に声をかけた二人のおじさんは荷物担当の車掌さんだった。でも、一体、誰?

帰り際、山都駅を写してみた。
なんだかんだ言って、昔の山都駅の正面写真ってこれぐらいしか無い。もっと撮っておけばよかったと悔やまれる。本当に素敵な駅だったのだ。
薄暗い夕暮れに写したものだからハッキリしないけど、左側には大きなヒマラヤ杉、懐かしい形の郵便ポスト、バスを待つ人のためか大きな石がベンチ代わり、右側にはHI-Cの自動販売機、コーラのポスターはジャズの渡辺貞夫、手書きのポスター、改札口、上りホームの待合室、どれもこれも今は見ることができない。

フィルムはあと一枚撮っておしまい。
早く現像したいがため、何の意味もなく家の前の街灯を写す。
この街灯は円盤形でとても明るく、カブトムシやクワガタがたくさん集まってきた。街灯のスポンサーと思われる看板には「龍門」の文字。これは山都のお酒の名前で、今思うと山都にも造り酒屋があったのだ。酒蔵は木曽四つ角近くにありました。
後日、写真が出来上がる。
母に「この人知ってる?」と聞いてみた。母曰く、荷物の車掌さんは三ツ山の人で、どうやら僕の二つ下の後輩の父であることが分かり、さっそく写真を封筒に入れて三ツ山に遊びに行って、車掌の腕章とか鉄道の書類とかたくさんお土産をいただいてきた。
僕の乗った汽車が会津若松駅手前の国道49号線の下をくぐる手前あたりから、郡山からやって来た汽車が見えてくる。
お互いの汽車は都会の京浜東北線と山手線のように約1キロほど並走する。
どちらの汽車も同じスピードで走っているので機関士も密かに並走を楽しんでいるのかも知れない。
郡山からの汽車の中でワンカップを飲みながら気分よく酔っぱらっているおじさんに僕は手を振る。それに気付いたおじさんはパッと目を輝かせ、慌てて窓を大きく開け、何を思ったのか思いっきり僕のほうへ手を伸ばして一本のさきいかを渡してくれた。それを見ていた母親が、
「お前、あのおじさん知っているのかい?」
「うん。知らない」
僕とおじさんを乗せた汽車はしばし並走し、静かに会津若松駅のホームに滑り込む。
僕以上にワーワーと子供のように叫んでいた酔っぱらいのおじさんの顔がいつまで経っても忘れられない。
僕は磐越西線沿線で一番多くの汽車が通る、この並走区間近くの住民がとても羨ましく感じた。
例えば新潟発郡山行の汽車があるとする。そこの住民は、新潟から会津若松に到着する時、そして会津若松から郡山へ発車する時の計二回、同じ汽車を見られるのだ。
つまり二度おいしい区間なのであります。
1982年、僕は以前から気になっていたこの並走区間を訪れた。
会津若松駅の裏手にまわって住宅地をしばらく歩いていると山田漆器会館の赤い看板が見えてくる。あたりをつけて民家の軒先を忍び足で通り抜ける。すると無事に線路に出た。
山都駅あたりとは違って、ここは汽車の本数が多いので、汽車にはねられないように気をつけながら線路端を歩く。

会津若松駅12時29分発229列車新潟行。
喜多方に通っていた山都や野沢などの下り方面の高校生は、土曜日はこの汽車のお世話になる。

会津若松駅12時38分発226列車郡山行。


列車番号不明。貨物列車です。

1292列車。機関車の後ろの貨車には木材が積んである。

会津若松駅13時17分到着1229D。
郡山〜会津若松の電化区間だけを走るディーゼルカー。しかも、急行型の車両を普通列車で使っています。

会津若松駅13時35分到着228D。このディーゼルカーの所属は新潟。郡山方面には向かわず、すぐに新潟行として折り返す。ガラスに人影が見えるが、若手運転士の師匠さんかも知れない。



1297列車。貨物です。ED77形電気機関車の重連。




上野発新潟行の1101D急行「いいで」
会津若松駅13時59分到着。13分停車の間に車両を切り離し4両にする。14時12分に発車し、遠く越後をめざす。


1298列車。貨物です。
現在、磐越西線には貨物列車は一本も走っていない。今のダイユー8の場所は貨物線だった。でも、今でも会津若松駅には貨物駅がある。肝心の貨物は汽車ではなくトラックで運ぶらしい。

会津若松での撮影を終えて、会津若松駅15時42分発233列車新津行で山都に帰る。
向かいのホームには会津若松駅15時28分発4208M急行「ばんだい8号」が停車中。帰省客と観光客だろうか、大きな荷物を携え一列に並んでドアが開くのを待っている。新幹線が無い時代、この急行は上野に20時36分に着く。東京は遠かった。

山都駅に戻ってくる。なんだかホッとした。家に帰らず山都駅で遊んでいた。
ちょうど山都駅18時04分発915D急行「あがの3号」仙台行(福島〜仙台間普通)が到着。

自転車置き場方面近くの旧貨物線に降りて、汽車のタブレットの受け渡しを写そうと思った。でも、写真が出来上がるとシャッターチャンスを思いっきり外している。才能無いな。
当時の山都駅は駅員さんの愛情が注がれていた。カンナの花が美しく、リヤカーが懐かしい。
山都駅18時29分発235列車新潟行。部活動をしている喜多方の高校生はこの汽車で帰ってくる。


汽車の写真を撮っていると、
「おーい」
という声。
荷物車の重いドアが開いた。
「おーい、俺を写してくれよー。写真、後でちょうだいよー。家は君の家から近いぞー」
僕はびっくりした。君の家の近くだって? ま、いいか、写そう。
この車両はスユニ50といって、荷物と郵便が積んでいる。
僕に声をかけた二人のおじさんは荷物担当の車掌さんだった。でも、一体、誰?

帰り際、山都駅を写してみた。
なんだかんだ言って、昔の山都駅の正面写真ってこれぐらいしか無い。もっと撮っておけばよかったと悔やまれる。本当に素敵な駅だったのだ。
薄暗い夕暮れに写したものだからハッキリしないけど、左側には大きなヒマラヤ杉、懐かしい形の郵便ポスト、バスを待つ人のためか大きな石がベンチ代わり、右側にはHI-Cの自動販売機、コーラのポスターはジャズの渡辺貞夫、手書きのポスター、改札口、上りホームの待合室、どれもこれも今は見ることができない。

フィルムはあと一枚撮っておしまい。
早く現像したいがため、何の意味もなく家の前の街灯を写す。
この街灯は円盤形でとても明るく、カブトムシやクワガタがたくさん集まってきた。街灯のスポンサーと思われる看板には「龍門」の文字。これは山都のお酒の名前で、今思うと山都にも造り酒屋があったのだ。酒蔵は木曽四つ角近くにありました。
後日、写真が出来上がる。
母に「この人知ってる?」と聞いてみた。母曰く、荷物の車掌さんは三ツ山の人で、どうやら僕の二つ下の後輩の父であることが分かり、さっそく写真を封筒に入れて三ツ山に遊びに行って、車掌の腕章とか鉄道の書類とかたくさんお土産をいただいてきた。
カンナの花と227列車

1982年10月、僕は東北・上越新幹線の開業で消えゆく列車を撮影するため東京へ出かけた。この写真は東京から帰ってくるときのものです。
東京でさんざん撮影を楽しんだ後、上野から特急に乗った。どこ行の特急に乗ったのかは忘れてしまったけど、583系寝台電車と食堂車に乗りたかったのは間違いないが、列車内の雰囲気とかはさっぱり記憶にない。

上野から下車駅の郡山まで約2時間40分の旅。大宮暫定開業とはいえ東北には新幹線が走っているので在来線の特急はまるで回送電車のように空いていた。
食堂車へ行ってみると、お昼時のせいか、出張サラリーマングループがグラスを傾けていたり、一人で食事をしている人も何人かいて、混雑しているとは言いがたいけど、ガラガラでなくてなんだかホッとした。僕は食堂車で何を頼んだか忘れてしまったけど、きっとカレーやハンバーグにジュースかも知れない。とにもかくにも中学生だった僕が食堂車と食事をするのはとても贅沢な感じがした。


アルバムに残っていた食堂車の領収書。1280円分飲食しました。一体、何を食べたんだろう。日付は「10月2日1013M」となっているけど、1013Mは特急「ひばり13号」らしい。でも、この特急に乗ると、郡山から1235列車に間に合わないのだが、ま、いいか。

郡山駅から磐越西線の茶色い客車に乗り込むと、あちらこちらからずうずう弁がちらほら聞こえてきた。この言葉を聞くと気分はもう家の中だ。
僕を乗せた1235列車は川桁駅で1番線には上り4208M急行「ばんだい8号」上野行が運転停車。1235列車は3番線に入り、下り1037M特急「あいづ」会津若松行を通す。

特急「あいづ」の最後尾はヘッドマークがついていた。デザインのモデルとなっている磐梯山の頭もちょっとだけ見える。

1235列車は会津若松駅から235列車となり山都駅には18時29分に到着する。喜多方の高校生で部活動をやっていると大体この汽車で帰ることになる。

スハフ32という旧型客車のデッキ。こんな列車が1980年代に走っていた。

東京で撮影したフィルムが余ったので、数日後に山都駅に行って撮影する。
山都駅10時16分発227列車新津行が到着。かつて山都の駅員さんたちが丹念に育てていたカンナの花がとても美しい。汲み取り式のトイレや木々の紅葉も懐かしい風景だ。今は環境の変化でこんな美しく紅葉しなくなってしまった。

この227列車は山都駅で913D急行「あがの1号」仙台行(福島〜仙台間普通)と交換するのでちょっぴり停車時間がある。
ディーゼル機関車の機関士さんはホームに降りてカンナの花の種を取っている。機関士さんが持ち帰った種は無事に美しいカンナの花になったのだろうか。


ディーゼル機関車の後ろは青色のマニ37。この荷物車は滅多に磐越西線を走らなかったと思う。

山都駅に到着した10時14分発急行「あがの1号」。急行は鈍行を待たせたくせに直ぐに発車してしまう。



山都駅から自転車で館ノ原の直線区間へ移動する。仙台発912D急行「あがの2号」新潟行(新津〜新潟間普通)。

新潟発1102D急行「いいで」上野行。山都駅は通過でした。

館ノ原の踏切にて。

上野発の1101D急行「いいで」新潟行。1982年11月14日が最終日でした。

山都駅14時59分発231D新津行。先頭はキハ45です。

最後部が急行型でした。ペンキ塗り立てで美しいです。
豊実の和彩館
夏休み中の二級上の先輩セースくんらとドライブ。まずは山都から新郷経由で上野尻へ行き、東村食堂で食事をしようと思ったけど残念なことに定休日だったので、何となく新潟方面に向かう。
しばし車を進めると豊実の和彩館を通りかかり、ここで食事をしようと決めて建物の中に入るが、ここも残念なことに定休日。
それでも奥さんが「休んでらっしゃいよ」ということで、わざわざアイスコーヒーと大山まんじゅうを出してくれての大サービスに大感激しながら、阿賀川のほとりの小屋で休憩させていただいた。
ずっと身近に感じていたつもりの阿賀川(福島側名称)もこんなに近くで見る機会など滅多になく、とてもおだやかな川面を自由に行き来するボートを見ていると、なんだか優しい気持ちになり、改めて豊実という村と阿賀川の密接ぶりを感じた。
そして、そろそろ帰りますと奥さんに声をかけると、
「都会の中学生達が薪割り体験をしているので見学してらっしゃい」
ということになり、奥さんの車に先導していただいて、和彩館から車で三分ほどのところにある工房へ。
手作り薪風呂は工房の脇にあった。
ご主人の佐藤さんのお話によると、工房も薪風呂も廃材を利用し自作したとか。
都会の中学生たちは慣れない手つきで薪割り作業をして、かまどにくべていた。お風呂もちょうどよい湯加減になっていました。





しばし車を進めると豊実の和彩館を通りかかり、ここで食事をしようと決めて建物の中に入るが、ここも残念なことに定休日。
それでも奥さんが「休んでらっしゃいよ」ということで、わざわざアイスコーヒーと大山まんじゅうを出してくれての大サービスに大感激しながら、阿賀川のほとりの小屋で休憩させていただいた。
ずっと身近に感じていたつもりの阿賀川(福島側名称)もこんなに近くで見る機会など滅多になく、とてもおだやかな川面を自由に行き来するボートを見ていると、なんだか優しい気持ちになり、改めて豊実という村と阿賀川の密接ぶりを感じた。
そして、そろそろ帰りますと奥さんに声をかけると、
「都会の中学生達が薪割り体験をしているので見学してらっしゃい」
ということになり、奥さんの車に先導していただいて、和彩館から車で三分ほどのところにある工房へ。
手作り薪風呂は工房の脇にあった。
ご主人の佐藤さんのお話によると、工房も薪風呂も廃材を利用し自作したとか。
都会の中学生たちは慣れない手つきで薪割り作業をして、かまどにくべていた。お風呂もちょうどよい湯加減になっていました。





麒麟山遠足
「山都第一小学校の遠足・修学旅行」
一年生の遠足は徒歩で山都町射撃場、二年生の遠足は汽車で荻野漕艇場、三年生の遠足はバスで喜多方市内、四年生の遠足はバスで会津若松、五年生の遠足はバスで猪苗代、六年生の修学旅行はバスで仙台・松島。
「山都第一中学校の遠足・修学旅行」
一年生の遠足はバスで本郷・塔のへつり、二年生の遠足は汽車で鹿瀬・津川・麒麟山、三年生の修学旅行はバス・東武・国鉄で日光・東京。
同級生のみんなは小学校の修学旅行を遠出のピークと考えているので、中学での本郷・塔のへつりや鹿瀬・津川・麒麟山というコースは、まるで小学校の遠足に戻ってしまったと落胆している。
しかし僕はそんなコースに落胆はしなかった。遠足でも修学旅行でも僕が気にするのは、交通手段とフミちゃんやスマちゃんの動向だけだ。幸いにも中学校二年生の遠足は鹿瀬・津川・麒麟山へ汽車で行くことになった。
1982年のある日、山都駅8時32分発225列車新潟行に乗車。この列車はDD51牽引の旧型客車だった。僕は225列車が山都駅に入線してきた時点で大好きなオハ35青色が連結されていたのを見たので、狙いを定めてオハ35青色のボックスを確保し、窓のテーブルにコーラを置いて悦に入っていたが、この車両にはフミちゃんとスマちゃんが乗っていないことに気付き、慌てて車内を歩いて偵察すると、フミちゃんとスマちゃんは隣のオハ61に乗ってお菓子を食べている。
どうしよう・・・僕は豪華なオハ35の青色車両にこのままこだわるべきか、それともフミちゃんとスマちゃんが乗っている、かなり乗り心地の悪いオハ61に移動すべきか。
そうだ、フミちゃんとスマちゃんをオハ35青色車両に連れてくればよいのだ。というもの凄く良いアイディアが浮かんだけれど、いかんせん小心者の僕にとってそのアイディアはかなり大胆すぎて、そのまま僕はオハ35青色車両の客として鹿瀬駅を目指す。
鹿瀬の手前は大好きな日出谷駅。もちろん、いつもの「とりめし」が立ち売りされており、同級生の男子に「とりめし」がどーのこーのとウンチクを垂れ流すが、皆さほど関心が無くて軽く落ち込む。さすがに今日は弁当持参であるし、集団行動の遠足だったので、大好きな「とりめし」を買うのは控えた。
汽車は鹿瀬駅に到着。この駅はいつ来てもでかい駅だなぁと思う。構内にはいつものゲテモノディーゼル機関車がウロウロしてて、駅には売店も記念スタンプもあって、僕は一人で大騒ぎしているが、そんなものには誰も関心がない。
先生を先頭にみんな二列になって駅前の真っ赤な橋を渡る。足下が網なのでもろに阿賀野川が透けて見える。怖い。橋を渡る時点であまりの恐怖で四つん這いになりたかったが、フミちゃんとスマちゃんの視線があるので、肝を冷やす思いでなんとか渡りきる。情けない。
橋を渡り終えると鹿瀬町役場が見えて来た。
その後、ひたすら歩く。慣れない土地の歩行は距離感がまったく掴めないのでとても長く感じる。
しばし歩いていると温泉街になる。ここが麒麟山温泉らしい。今の僕らと温泉旅館の距離は限りなく遠いので何の関心も示さないフリをする。
温泉旅館を過ぎると左に急カーブして、狭いトンネルに入る。みんなはトンネルの中で「ヤッホー」と叫んで反響音を楽しんでいる。トンネルの中で津川町に入った。一駅分の距離ではないけれど、徒歩で町の境界を越えたことが嬉しい。
トンネルを出るとそこが麒麟山だった。広い駐車場でしばし休憩。そこには店屋もあった。さっそく弁当を広げようとしたそそっかしいやつも居たが、先生に「頂上で食べたほうがおいしいよ」と言われ、慌てて弁当をしまう。
いよいよ麒麟山に登る。登山と言っては大げさかもしれないが、なかなかのコースで途中で音を上げている肥満児もいた。それでもみんな黙って登山のようなハイキングのような遠足を楽しんでいる。
頂上に着いたら自由行動。みんな仲良しグループに分かれてお弁当を食べる。僕はキヨと同級生グループ勢力図とその傾向を把握し、分析を進める。今思うとかなり感じが悪い。
そうこうするうちに麒麟山頂上から磐越西線が見えることに気がついた。僕はさっそくカメラを構えて鹿瀬駅11時21分発227列車新津行を待ち構える。そんな僕の行動を見た数人の男子もカメラを構える。なぜか親から借りたオリンパス・ペンが多数で当時の人気が伺い知れる。
何も無い麒麟山に飽きてきたころ、僕らは下山を始める。行きはよいよい帰りはこわい、ということで、楽そうに思っていた下り坂もズックでブレーキするたびに疲れがどんどん増してくる。
麒麟山から津川駅まで宿場町のような町並みをみんなで歩く。普通の商店や食堂も、やっぱりよその町なので珍しく見える。みんな興味津々で見ていた。それにしても麒麟山から津川駅、これはかなりの距離に感じた。
いつしか僕らは国道49号線の麒麟橋を渡っている。ここは鹿瀬の赤い橋と違って、まったく怖くはないけれど、道が狭く車もびゅんびゅん飛ばしてくるので注意が必要だ。
やっとの思いで津川駅に到着。ここも大きい駅で、駅員さんがたくさん居て、売店も記念スタンプもある。僕が記念スタンプをノートに押していると、同級生が駅備え付けのチラシを持って来て裏にスタンプを押していた。
津川駅14時28分発230列車郡山行に乗って山都駅に戻る。これもDD51牽引の旧型客車だけど、オハだの青だのこだわっているとフミちゃんやスマちゃんと同じ客車に乗れなくなってしまう。とにもかくにもあの二人と一緒の客車に乗るのだ。
無事に二人と同じ客車に乗った僕だけど、座るとすぐに眠くなってきた。先生も同級生も程よい客車の揺れでみんな麒麟山の夢を見ている。
目を覚ますと荻野駅。あとひとつで山都駅だ。窓を開けると旗を持った駅長がホームを歩いていた。
楽しかった二年生の遠足も終わりだ。その後、スマちゃんは数年前に近くの食堂で見かけたきり、フミちゃんは中三で遠くの町へ転校してしまい、それ以来一度も会っていない。


一年生の遠足は徒歩で山都町射撃場、二年生の遠足は汽車で荻野漕艇場、三年生の遠足はバスで喜多方市内、四年生の遠足はバスで会津若松、五年生の遠足はバスで猪苗代、六年生の修学旅行はバスで仙台・松島。
「山都第一中学校の遠足・修学旅行」
一年生の遠足はバスで本郷・塔のへつり、二年生の遠足は汽車で鹿瀬・津川・麒麟山、三年生の修学旅行はバス・東武・国鉄で日光・東京。
同級生のみんなは小学校の修学旅行を遠出のピークと考えているので、中学での本郷・塔のへつりや鹿瀬・津川・麒麟山というコースは、まるで小学校の遠足に戻ってしまったと落胆している。
しかし僕はそんなコースに落胆はしなかった。遠足でも修学旅行でも僕が気にするのは、交通手段とフミちゃんやスマちゃんの動向だけだ。幸いにも中学校二年生の遠足は鹿瀬・津川・麒麟山へ汽車で行くことになった。
1982年のある日、山都駅8時32分発225列車新潟行に乗車。この列車はDD51牽引の旧型客車だった。僕は225列車が山都駅に入線してきた時点で大好きなオハ35青色が連結されていたのを見たので、狙いを定めてオハ35青色のボックスを確保し、窓のテーブルにコーラを置いて悦に入っていたが、この車両にはフミちゃんとスマちゃんが乗っていないことに気付き、慌てて車内を歩いて偵察すると、フミちゃんとスマちゃんは隣のオハ61に乗ってお菓子を食べている。
どうしよう・・・僕は豪華なオハ35の青色車両にこのままこだわるべきか、それともフミちゃんとスマちゃんが乗っている、かなり乗り心地の悪いオハ61に移動すべきか。
そうだ、フミちゃんとスマちゃんをオハ35青色車両に連れてくればよいのだ。というもの凄く良いアイディアが浮かんだけれど、いかんせん小心者の僕にとってそのアイディアはかなり大胆すぎて、そのまま僕はオハ35青色車両の客として鹿瀬駅を目指す。
鹿瀬の手前は大好きな日出谷駅。もちろん、いつもの「とりめし」が立ち売りされており、同級生の男子に「とりめし」がどーのこーのとウンチクを垂れ流すが、皆さほど関心が無くて軽く落ち込む。さすがに今日は弁当持参であるし、集団行動の遠足だったので、大好きな「とりめし」を買うのは控えた。
汽車は鹿瀬駅に到着。この駅はいつ来てもでかい駅だなぁと思う。構内にはいつものゲテモノディーゼル機関車がウロウロしてて、駅には売店も記念スタンプもあって、僕は一人で大騒ぎしているが、そんなものには誰も関心がない。
先生を先頭にみんな二列になって駅前の真っ赤な橋を渡る。足下が網なのでもろに阿賀野川が透けて見える。怖い。橋を渡る時点であまりの恐怖で四つん這いになりたかったが、フミちゃんとスマちゃんの視線があるので、肝を冷やす思いでなんとか渡りきる。情けない。
橋を渡り終えると鹿瀬町役場が見えて来た。
その後、ひたすら歩く。慣れない土地の歩行は距離感がまったく掴めないのでとても長く感じる。
しばし歩いていると温泉街になる。ここが麒麟山温泉らしい。今の僕らと温泉旅館の距離は限りなく遠いので何の関心も示さないフリをする。
温泉旅館を過ぎると左に急カーブして、狭いトンネルに入る。みんなはトンネルの中で「ヤッホー」と叫んで反響音を楽しんでいる。トンネルの中で津川町に入った。一駅分の距離ではないけれど、徒歩で町の境界を越えたことが嬉しい。
トンネルを出るとそこが麒麟山だった。広い駐車場でしばし休憩。そこには店屋もあった。さっそく弁当を広げようとしたそそっかしいやつも居たが、先生に「頂上で食べたほうがおいしいよ」と言われ、慌てて弁当をしまう。
いよいよ麒麟山に登る。登山と言っては大げさかもしれないが、なかなかのコースで途中で音を上げている肥満児もいた。それでもみんな黙って登山のようなハイキングのような遠足を楽しんでいる。
頂上に着いたら自由行動。みんな仲良しグループに分かれてお弁当を食べる。僕はキヨと同級生グループ勢力図とその傾向を把握し、分析を進める。今思うとかなり感じが悪い。
そうこうするうちに麒麟山頂上から磐越西線が見えることに気がついた。僕はさっそくカメラを構えて鹿瀬駅11時21分発227列車新津行を待ち構える。そんな僕の行動を見た数人の男子もカメラを構える。なぜか親から借りたオリンパス・ペンが多数で当時の人気が伺い知れる。
何も無い麒麟山に飽きてきたころ、僕らは下山を始める。行きはよいよい帰りはこわい、ということで、楽そうに思っていた下り坂もズックでブレーキするたびに疲れがどんどん増してくる。
麒麟山から津川駅まで宿場町のような町並みをみんなで歩く。普通の商店や食堂も、やっぱりよその町なので珍しく見える。みんな興味津々で見ていた。それにしても麒麟山から津川駅、これはかなりの距離に感じた。
いつしか僕らは国道49号線の麒麟橋を渡っている。ここは鹿瀬の赤い橋と違って、まったく怖くはないけれど、道が狭く車もびゅんびゅん飛ばしてくるので注意が必要だ。
やっとの思いで津川駅に到着。ここも大きい駅で、駅員さんがたくさん居て、売店も記念スタンプもある。僕が記念スタンプをノートに押していると、同級生が駅備え付けのチラシを持って来て裏にスタンプを押していた。
津川駅14時28分発230列車郡山行に乗って山都駅に戻る。これもDD51牽引の旧型客車だけど、オハだの青だのこだわっているとフミちゃんやスマちゃんと同じ客車に乗れなくなってしまう。とにもかくにもあの二人と一緒の客車に乗るのだ。
無事に二人と同じ客車に乗った僕だけど、座るとすぐに眠くなってきた。先生も同級生も程よい客車の揺れでみんな麒麟山の夢を見ている。
目を覚ますと荻野駅。あとひとつで山都駅だ。窓を開けると旗を持った駅長がホームを歩いていた。
楽しかった二年生の遠足も終わりだ。その後、スマちゃんは数年前に近くの食堂で見かけたきり、フミちゃんは中三で遠くの町へ転校してしまい、それ以来一度も会っていない。


磐西あっちこっち
1982年のネガからです。僕はこの頃、学校が休みの度に汽車に乗ってどこかへ出かけた。華やかな路線もいいけれど、この頃から磐越西線がとっても気になる存在になってきた。

会津若松駅、列車(列番失念)を見送る助役。

こ線橋の下では伯養軒の駅弁ワゴンが待機。駅となりの事務所職員がやってきて在庫の確認。

これも列番失念。旧型客車、中線の貨車も過去の風景。

この頃、とても気になっていたのが、信号所、仮乗降場、スイッチバック。僕が乗ってた1233列車は更科信号場に停車したので嬉しい。わずかな停車時間でじっくり見学。磐梯山が真っ正面に見え、涼しい風が吹き抜けてゆくのでどこか高原の駅のよう。


1102D急行「いいで」上野行と交換した。この気動車がこれから東京に行くのだ。率直にすごい。





更科信号場を過ぎると猪苗代圏内の香りが薄れ、どこか会津盆地の香りがプンプンと匂ってくる。汽車は右に左に、坂をのんびり下りてゆく。

広田駅にはED77電気機関車が停車中。磐越西線の電化区間は列車交換が多い。活気があっていいなぁ

今回の写真はかなり斜めばかりのものですがお許しを。僕が乗っていた1233列車は会津若松駅で28分停車してそのまま233列車新津行になる。窓を大きく開けると喜多方発上野行4208M急行「ばんだい8号」が見えた。


こればっかりは記憶がない。果たして後に出てくる日出谷駅に行く途中に撮影したものなのだろうか。乗っている列車は気動車で急行型で、日出谷駅に早朝の221Dで出かける必要もなく、かと言って午後の231Dで出かけるのは遅い。謎です。そして撮影場所は上野尻駅なのは分かるけど、上りホームに下り列車が入線している。うーん、後でじっくり調べてみます。

また日出谷駅に来てしまった。山間の割には広い構内、主要駅を思わす構内照明塔、数多くの駅員、終着駅、始発駅、とりめし、草むらの転車台、昼寝しているDD51、真っ黒い貨車。僕の大好きなものがたくさん詰まっている駅だ。

汽車の車窓から見るより、はるかに大きい転車台。

虫がチロチロと鳴いている。もう使われることがない転車台をただぼんやりと見つめる。

まったく分かりにくい写真ですみません。草木が生い茂って近づけませんでした。日出谷駅転車台のエンドレール部分です。エンドレールはΩより△タイプが好き。

日出谷駅で貨物の連結作業を見ていると、「俺のとこ、カッコよく撮るらん?」と駅員さんに言われた。
日出谷駅14時47分発230列車郡山行で山都駅まで戻る。

豊実駅。県境の駅だけどどこか地味で清楚な雰囲気が漂っていた。駅舎は線路より低いところにあって、さながら高架鉄道。線路を渡って階段を下りると改札口だったのだけど、いつの間にか都会並みの地下道ができ、磐越西線にしていは画期的だなぁとずっと思っていた。豊実駅はきっとこの頃に棒線化されたと思うのだけど確実な資料が無いのが残念。また沿線の中では比較的遅くまで貨物を扱っていたらしいが、沿線のどの駅よりも早々と日交観の委託駅になった。同じ頃、猿和田駅も日交観委託駅だった。

232列車は徳沢駅に到着。所定の交換すべき233列車が遅れているらしくなかなか発車しなかった。ホームを降りて機関車方面に行ってみると、機関士さん、機関助手さん、車掌さんがなにやら打ち合わせ中。結局、233列車とは上野尻駅で交換することなり、急きょ発車。

徳沢〜上野尻間の名勝「銚子の口」。雨上がりのせいでコーヒー牛乳色の川の水が泡を巻いている。

僕の乗った232列車は上野尻駅16時45分発(所定)233列車新津行。端正な顔立ちのスハフ42、マジソン・スクエアー・ガーデンのバッグも懐かしいが、とにかくこの頃は多くの降車客がいた。
PENTAX ME SUPER

会津若松駅、列車(列番失念)を見送る助役。

こ線橋の下では伯養軒の駅弁ワゴンが待機。駅となりの事務所職員がやってきて在庫の確認。

これも列番失念。旧型客車、中線の貨車も過去の風景。

この頃、とても気になっていたのが、信号所、仮乗降場、スイッチバック。僕が乗ってた1233列車は更科信号場に停車したので嬉しい。わずかな停車時間でじっくり見学。磐梯山が真っ正面に見え、涼しい風が吹き抜けてゆくのでどこか高原の駅のよう。


1102D急行「いいで」上野行と交換した。この気動車がこれから東京に行くのだ。率直にすごい。





更科信号場を過ぎると猪苗代圏内の香りが薄れ、どこか会津盆地の香りがプンプンと匂ってくる。汽車は右に左に、坂をのんびり下りてゆく。

広田駅にはED77電気機関車が停車中。磐越西線の電化区間は列車交換が多い。活気があっていいなぁ

今回の写真はかなり斜めばかりのものですがお許しを。僕が乗っていた1233列車は会津若松駅で28分停車してそのまま233列車新津行になる。窓を大きく開けると喜多方発上野行4208M急行「ばんだい8号」が見えた。


こればっかりは記憶がない。果たして後に出てくる日出谷駅に行く途中に撮影したものなのだろうか。乗っている列車は気動車で急行型で、日出谷駅に早朝の221Dで出かける必要もなく、かと言って午後の231Dで出かけるのは遅い。謎です。そして撮影場所は上野尻駅なのは分かるけど、上りホームに下り列車が入線している。うーん、後でじっくり調べてみます。

また日出谷駅に来てしまった。山間の割には広い構内、主要駅を思わす構内照明塔、数多くの駅員、終着駅、始発駅、とりめし、草むらの転車台、昼寝しているDD51、真っ黒い貨車。僕の大好きなものがたくさん詰まっている駅だ。

汽車の車窓から見るより、はるかに大きい転車台。

虫がチロチロと鳴いている。もう使われることがない転車台をただぼんやりと見つめる。

まったく分かりにくい写真ですみません。草木が生い茂って近づけませんでした。日出谷駅転車台のエンドレール部分です。エンドレールはΩより△タイプが好き。

日出谷駅で貨物の連結作業を見ていると、「俺のとこ、カッコよく撮るらん?」と駅員さんに言われた。
日出谷駅14時47分発230列車郡山行で山都駅まで戻る。

豊実駅。県境の駅だけどどこか地味で清楚な雰囲気が漂っていた。駅舎は線路より低いところにあって、さながら高架鉄道。線路を渡って階段を下りると改札口だったのだけど、いつの間にか都会並みの地下道ができ、磐越西線にしていは画期的だなぁとずっと思っていた。豊実駅はきっとこの頃に棒線化されたと思うのだけど確実な資料が無いのが残念。また沿線の中では比較的遅くまで貨物を扱っていたらしいが、沿線のどの駅よりも早々と日交観の委託駅になった。同じ頃、猿和田駅も日交観委託駅だった。

232列車は徳沢駅に到着。所定の交換すべき233列車が遅れているらしくなかなか発車しなかった。ホームを降りて機関車方面に行ってみると、機関士さん、機関助手さん、車掌さんがなにやら打ち合わせ中。結局、233列車とは上野尻駅で交換することなり、急きょ発車。

徳沢〜上野尻間の名勝「銚子の口」。雨上がりのせいでコーヒー牛乳色の川の水が泡を巻いている。

僕の乗った232列車は上野尻駅16時45分発(所定)233列車新津行。端正な顔立ちのスハフ42、マジソン・スクエアー・ガーデンのバッグも懐かしいが、とにかくこの頃は多くの降車客がいた。
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巡る
その旅はどこに行くより誰と行く。
今日は中学校時代の二級上の先輩、セース君と近所のパトロール。

ずっと前から行きたいなと思っていたのが東村食堂。僕らは迷わずチャーシューメンを頼む。
僕らの後に飛脚のドライバーさんが入ってきて、「みそチャ−シュー大盛りにライス」という豪華版をオーダーしてから漫画読み。つかの間の休憩だ。

最後の一口は、麺それともチャーシュー? 僕はチャーシューでした。

国道49号から黒沢、会津西方を経由して玉梨とうふ茶屋へ。
誰ともすれ違わない、誰も追いかけて来ない、誰にも追いつかない、そんな道中。
茶屋に到着する。雨でお客さんがまばらだった。師匠の昔話や武勇伝にじっくり耳を傾ける。

お座敷。床はクリヤー板となっていて、僕らの正座の下はコイが悠々と泳ぐ。

名物100年水ホットコーヒーに豆乳アイスクリームを投入。心していただく。

最後は店内のお釈迦様をありがたく拝んで、店頭の百年水で喉を潤す。
家人にお土産も買う。

玉梨とうふ茶屋の駐車場の草むらで発見。

国道400号を昭和村方面に向かい、いつもの村営ドライブインでちょっぴり休憩。
軽トラでやってきた村内の若人から永田農法のトマトを買う。若人曰く、からむしの博物館は無料開放をしているらしい。二人で喜んで見学を決め込む。

昭和村から老沢温泉旅館に直行。


まずは温泉内の神社に参拝してから、ときたまごのお吸い物風源泉をちびりちびりやりながら湯治気分。


湯から上がると、いつまで経っても汗が引かない。汗をかきながら家路に着く。
今日のパトロールは異常なし。


山都に戻ると豊年踊りが雨の中行われていた。テキ屋さんは昨日に比べて増えていた。テキ屋のおじさん曰く、他の村の祭礼が中止になったところもあったらしい。
今日は中学校時代の二級上の先輩、セース君と近所のパトロール。

ずっと前から行きたいなと思っていたのが東村食堂。僕らは迷わずチャーシューメンを頼む。
僕らの後に飛脚のドライバーさんが入ってきて、「みそチャ−シュー大盛りにライス」という豪華版をオーダーしてから漫画読み。つかの間の休憩だ。

最後の一口は、麺それともチャーシュー? 僕はチャーシューでした。

国道49号から黒沢、会津西方を経由して玉梨とうふ茶屋へ。
誰ともすれ違わない、誰も追いかけて来ない、誰にも追いつかない、そんな道中。
茶屋に到着する。雨でお客さんがまばらだった。師匠の昔話や武勇伝にじっくり耳を傾ける。

お座敷。床はクリヤー板となっていて、僕らの正座の下はコイが悠々と泳ぐ。

名物100年水ホットコーヒーに豆乳アイスクリームを投入。心していただく。

最後は店内のお釈迦様をありがたく拝んで、店頭の百年水で喉を潤す。
家人にお土産も買う。

玉梨とうふ茶屋の駐車場の草むらで発見。

国道400号を昭和村方面に向かい、いつもの村営ドライブインでちょっぴり休憩。
軽トラでやってきた村内の若人から永田農法のトマトを買う。若人曰く、からむしの博物館は無料開放をしているらしい。二人で喜んで見学を決め込む。

昭和村から老沢温泉旅館に直行。


まずは温泉内の神社に参拝してから、ときたまごのお吸い物風源泉をちびりちびりやりながら湯治気分。


湯から上がると、いつまで経っても汗が引かない。汗をかきながら家路に着く。
今日のパトロールは異常なし。


山都に戻ると豊年踊りが雨の中行われていた。テキ屋さんは昨日に比べて増えていた。テキ屋のおじさん曰く、他の村の祭礼が中止になったところもあったらしい。
ドサハルくん 2
今日は10月中旬くらいの気温だった。天気はどよーんとした曇り空で、冷たく強い風に吹かれた木の葉はザーザーと大きく音を立てる。
午後になると寒さが一層冷え込んできたので、僕は箪笥から樟脳くさいカットソーを出してきて、窓辺でホットコーヒーを飲んでいた。
しばらくすると遠くのほうから祭礼の山車の笛太鼓が聞こえてくる。僕はこの旋律を聞くたびに幼い頃に稚児行列に参加したことを思い出すけど、今日は寒さのせいか祭礼自体が季節を外しているような錯覚に陥る。
数日前から友達が祭礼に行こうと誘っていたけど、ぜんぜんその気が無かったのでお断りした。すまん。
それでも昨年は祭礼に行った。だけど二十年近くも故郷を離れていたこともあって、神社の境内に入った瞬間、どこか旅先の小さな村の祭礼に紛れ込んでしまったような、なんだかとってもアウェーな感じがして、下を向きながら早々と帰ってきた。
そう言えば僕は高校を卒業して働くようになって、お祭、花火大会、クラブとかのイベントなど、なんでもいいんだけど、なんだかみんなが集まるところに自ら率先して行きたいと思ったことが一度もない。元々、人混みは好きではないし、その会場に入った瞬間に「おー、よく来たな。これ食べろ」ぐらいの知り合いや四〜五人の同行者がいるといった安全パイが無いととても落ち着かない。ま、今の僕にはそんな余裕が無いのが最大の言い訳なんだけど。
そんな自分の余裕の無さや小心者ぶりに呆れていると、祭礼などに関係なく働いているやつを一人思い出した。先日の日記に登場したドサハルだ。
ドサハルは町の街灯の役割をしているコンビニで一人で深夜勤務をしている。僕はコンビ二というものはあまり好きではないのだけど、コンビニに行くのではなく、ドサハルに会いに行くのだと自分に言い聞かせ自転車で一寸出かけてみた。
僕がドアを開けて入店すると、家と同じチャイムが鳴って、レジの奥の控え室から「いらっしゃいませーえん」という、まったくもって業務用マニュアルっぽくないけど、真剣なドサハルの挨拶が聞こえてくる。
ドサハルはまだ僕が来たことに気付いてないようだ。僕は特に買い物という買い物はなかったのだけど、なぜか杏仁豆腐が目に入ったのでそれを片手に持ってレジに向かおうとしたが、ふと自転車の電灯の電池が切れていることを思い出した。あ、これがコンビニ・マジックなのね。僕は控え室にいるドサハルを横目でチラチラ見ながら電池のコーナーへ向かおうとしたとき、ようやくドサハルと目が合ってお互いがニヤリとした。
いつも外で会ったときは大騒ぎしてふざけるのだけど、そこは勤務中の深夜のコンビニであるし、防犯カメラとか監視カメラといったこの町に絶対に似合ってほしくないものがあるので、ドサハルの前でフツーの客を演じるのもなんだかまどろっこしい。
レジで電池の代金を払ってレシートとお釣りをもらう。ドサハルは乾電池のパッケージを破りながら、
「祭りさ行った? 何か食べた?」
「行ってねーよ」
「そっか、俺は元々仕事だったからさ」
「ま、しょーがねーよ」
「なぁ、俺痩せた?」
「かなり太っているよ」
「そう?ハハ、ハーン」
ドサハル独特の笑い方は別として、ドサハルは糖尿の気があって、今春あたりから急に痩せ始めた。みんなそれぞれなんかしらのものを背負っている。
「病院行ってんの?」
「うん、まぁ、その・・・」
ドサハルは病院がキライというより、自分の体の現状を知るのがイヤらしい。ちょっと強引たけど話題を変える。
「今度、温泉さでも行くべ」
「あぁ、行ぐべ」
「これ(防犯カメラ)、音は拾ってんの?」
「だいじょーぶ」
「そっか、じゃ、ドサハルが休みのとき、電話するわ」
「あぁ」
僕がレジを離れると、ドサハルは真剣に、
「ありがとうごぜーやした」
コンビニを出ると辺り一面は真っ暗で、新しい乾電池を入れた自転車の電灯は遥か遠くまで明るく照らした。
なんだか昼間より夜のほうが暖かいなーと感じながら僕はペダルを漕いだ。
午後になると寒さが一層冷え込んできたので、僕は箪笥から樟脳くさいカットソーを出してきて、窓辺でホットコーヒーを飲んでいた。
しばらくすると遠くのほうから祭礼の山車の笛太鼓が聞こえてくる。僕はこの旋律を聞くたびに幼い頃に稚児行列に参加したことを思い出すけど、今日は寒さのせいか祭礼自体が季節を外しているような錯覚に陥る。
数日前から友達が祭礼に行こうと誘っていたけど、ぜんぜんその気が無かったのでお断りした。すまん。
それでも昨年は祭礼に行った。だけど二十年近くも故郷を離れていたこともあって、神社の境内に入った瞬間、どこか旅先の小さな村の祭礼に紛れ込んでしまったような、なんだかとってもアウェーな感じがして、下を向きながら早々と帰ってきた。
そう言えば僕は高校を卒業して働くようになって、お祭、花火大会、クラブとかのイベントなど、なんでもいいんだけど、なんだかみんなが集まるところに自ら率先して行きたいと思ったことが一度もない。元々、人混みは好きではないし、その会場に入った瞬間に「おー、よく来たな。これ食べろ」ぐらいの知り合いや四〜五人の同行者がいるといった安全パイが無いととても落ち着かない。ま、今の僕にはそんな余裕が無いのが最大の言い訳なんだけど。
そんな自分の余裕の無さや小心者ぶりに呆れていると、祭礼などに関係なく働いているやつを一人思い出した。先日の日記に登場したドサハルだ。
ドサハルは町の街灯の役割をしているコンビニで一人で深夜勤務をしている。僕はコンビ二というものはあまり好きではないのだけど、コンビニに行くのではなく、ドサハルに会いに行くのだと自分に言い聞かせ自転車で一寸出かけてみた。
僕がドアを開けて入店すると、家と同じチャイムが鳴って、レジの奥の控え室から「いらっしゃいませーえん」という、まったくもって業務用マニュアルっぽくないけど、真剣なドサハルの挨拶が聞こえてくる。
ドサハルはまだ僕が来たことに気付いてないようだ。僕は特に買い物という買い物はなかったのだけど、なぜか杏仁豆腐が目に入ったのでそれを片手に持ってレジに向かおうとしたが、ふと自転車の電灯の電池が切れていることを思い出した。あ、これがコンビニ・マジックなのね。僕は控え室にいるドサハルを横目でチラチラ見ながら電池のコーナーへ向かおうとしたとき、ようやくドサハルと目が合ってお互いがニヤリとした。
いつも外で会ったときは大騒ぎしてふざけるのだけど、そこは勤務中の深夜のコンビニであるし、防犯カメラとか監視カメラといったこの町に絶対に似合ってほしくないものがあるので、ドサハルの前でフツーの客を演じるのもなんだかまどろっこしい。
レジで電池の代金を払ってレシートとお釣りをもらう。ドサハルは乾電池のパッケージを破りながら、
「祭りさ行った? 何か食べた?」
「行ってねーよ」
「そっか、俺は元々仕事だったからさ」
「ま、しょーがねーよ」
「なぁ、俺痩せた?」
「かなり太っているよ」
「そう?ハハ、ハーン」
ドサハル独特の笑い方は別として、ドサハルは糖尿の気があって、今春あたりから急に痩せ始めた。みんなそれぞれなんかしらのものを背負っている。
「病院行ってんの?」
「うん、まぁ、その・・・」
ドサハルは病院がキライというより、自分の体の現状を知るのがイヤらしい。ちょっと強引たけど話題を変える。
「今度、温泉さでも行くべ」
「あぁ、行ぐべ」
「これ(防犯カメラ)、音は拾ってんの?」
「だいじょーぶ」
「そっか、じゃ、ドサハルが休みのとき、電話するわ」
「あぁ」
僕がレジを離れると、ドサハルは真剣に、
「ありがとうごぜーやした」
コンビニを出ると辺り一面は真っ暗で、新しい乾電池を入れた自転車の電灯は遥か遠くまで明るく照らした。
なんだか昼間より夜のほうが暖かいなーと感じながら僕はペダルを漕いだ。
忘れていた写真
今日の写真三枚は昨日の231Dの日記に使ったネガからです。どこか遠くへ出かけたときや目的がある撮影の時はフィルムを最後まで使い切っていたのですが、友達と遊んだときとか、ちょっとした買い物に出かけたときに、特別な気持ちもなく写したものです。しかし、何十年も後になってネガをじっくり見てみると、こんなの撮っていたんだと思ったり、当時の自分の日常が垣間みれて、とても新鮮に感じる。

館ノ原トンネルでの1102D急行「いいで」上野行です。当時、大関君が館ノ原に住んでいたので、よく自転車に乗って遊びに行った思い出があります。館ノ原トンネル付近はお気軽な当時お気軽な撮影場所だったのです。

昔住んでいた木曽の家の前で撮りました。大雨で一ノ戸川が増水して、普段芋煮会をやっていた川原は消えてしまいました。コーヒー牛乳のような色の川はとても怖かった。今、この場所は県道の橋がかかっています。

会津若松駅にて。キハ40が写っています。この頃にはキハ55がずいぶんと消えていったような記憶があります。只見・会津線の発着ホームはとても狭かったのですが小さな売店がありました。

館ノ原トンネルでの1102D急行「いいで」上野行です。当時、大関君が館ノ原に住んでいたので、よく自転車に乗って遊びに行った思い出があります。館ノ原トンネル付近はお気軽な当時お気軽な撮影場所だったのです。

昔住んでいた木曽の家の前で撮りました。大雨で一ノ戸川が増水して、普段芋煮会をやっていた川原は消えてしまいました。コーヒー牛乳のような色の川はとても怖かった。今、この場所は県道の橋がかかっています。

会津若松駅にて。キハ40が写っています。この頃にはキハ55がずいぶんと消えていったような記憶があります。只見・会津線の発着ホームはとても狭かったのですが小さな売店がありました。
