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紅葉

 今朝は辺り一面霧に包まれていて初冬のような冷え込みだった。車も家も暖房が必要になってくると、またこの季節がやってきたのかと思い、少しゆううつになる。
 今日は近場の紅葉を見に行こうと思い、まずは新宮の長床に向かった。境内のイチョウの木は不思議なことに鮮やかな黄色の葉のものとまだまだ緑色の二種類があって妙にアンバランス。緑色のほうが長床名物の大イチョウと呼ばれているものだけど、葉が黄色くなる前に冬がやってきそう。
 なんだかしっくりこない気持ちで三島町に向かう。今日は只見線に試運転の汽車が走るらしく、国道は首都高並に交通量が多いというのはかなり大げさだけど、普段の交通量とは比べ物にならない。せっかく汽車が走るので三島の道の駅に車を停めさせてもらって、汽車の写真でも撮ろうと決心して山に登ってみたが望遠レンズじゃないと肝心な汽車の姿がよく見えず、一応シャッターを押してみたけど汽車は米粒ぐらいの大きさにしか写ってなかった。やっぱり僕のようなにわか撮影参加者は望遠付きのカメラを持参して一昨日に来なさいと言った感じ。しかも数日前に雨が降ったので山道は泥まみれになっていて、うっかりしてると転んでしまいそうになり、軽卒且つ思いつきで行動しているのが自分らしいなと思った。その後は賑やかな場所を避けるように本名駅に向かう。なんだか無人駅をうすらかすらしているのが性に合う。
 本名駅のホームはディーゼルカー1両分の長さしかないけど待合室は丁寧に掃除されていて無人駅の割に清潔感があった。
 本名駅で写真を撮って部落内を歩いていたらおばあさんが青豆を干していた。まるで民家の前に青い絨毯を敷いているように見えたので声をかけて写真を撮らせていただいた。おばあさんはずっと天気がよくなくて今日になってようやく干せたのでよかったと言っていた。
 ふたたび会津川口に戻るとディーゼルカーが停車していた。駅近くの橋の上で写真を撮ったけど、数年前にこの橋にディーゼルカーの屋根が引っかかった事故を思い出す。テレビでその光景を見たときはまるでルパン三世のアニメを見ているようだった。前の橋が古くなったので架け替え工事をしていたときだ。
 いつの間にかお昼が過ぎていたので川口の食堂へ入ろうと思ったけど、やけに混んでいたので玉梨へ行ってみた。川口から玉梨へ向かう道は国道252号線とは違ってほとんど車が通ってないのがいい。
 とうふ茶屋には県外ナンバーの車が数台停まっていて熟年夫婦が多かった。きっと紅葉を見に来たのだろう。とうふとドーナツの昼食を食べていたら店の主人が奥から出てきて僕にいろいろ話しかけてきた。主人とあーだこーだと話していたらコーヒーをごちそうしてくれた。しかもコーヒーの上に豆乳アイスクリームがのっかっていた。これが世辞抜きにグンバツにうまく、「ここのコーヒーはとうふよりうまい」と言ったら、「そりゃ、あんまりだ」と主人が笑う。ここの主人はいつも気前と気分がいい。ごちそうさまでした。
 お昼を食べて昭和村に向かった。いつも思うけど昭和村は同じ会津地方でも時間の流れや空気がまったく違う。なんとなくだけど、妙な田舎っぽさの演出がなく、ありのままのという感じがするので、いつ来ても好感が持てる。
 車は山道の国道に差し掛かる。博士山のふもとは山都あたりの山の木と種類が違うのかフワフワした広葉樹林と針葉樹林のコントラストが額縁の中の絵みたいに美しく、従順な自然の姿を見ていると罪悪感を感じてしまうのなぜだろう。しばらく僕独占の紅葉道を進むと柳津町に入る。これが不思議なことに山都あたりのと同じ感じのフツーの紅葉だ。
 あまりにも紅葉がきれいだったので西山温泉の老沢旅館の風呂に入ってゆでタマゴ味の源泉でも飲みたくなったけどタオルを持っていなかったので諦め、滝谷駅で汽車が通過してゆくのを見学する。今朝会った友人の話によると、坂下の幼稚園に通っている姪っ子が招待で試運転の汽車に乗ることになったらしく、客車内を見てみたら確かにたくさんの園児が乗っていた。みんな長旅で疲れたのかほとんどの園児が寝ていた。
 滝谷駅から塔寺駅に向かう。塔寺駅は日陰になっているせいか写真を撮る人が誰もいなかった。あまりフレッシュな写真にはならないけど気兼ねなく汽車の見物ができた。
 只見線の汽車は2日と3日に走るらしい。だけど里の紅葉はまだ色が薄く、道も混むので多分行かないと思う。
 

 新宮 長床

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 会津西方〜会津宮下

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 会津中川〜会津川口

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 只見線 本名駅

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 金山町 本名

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 会津川口〜会津中川

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 金山町 玉梨とうふ茶屋

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 昭和村

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 只見線 塔寺駅

JA

農協のチラシが入りました。今年のプレゼントはサンマ3尾ではなく、たまごになりました。

 この日は“磐西・只見ぐるり一周号”が運転され山都駅を9時50分頃通過します。久しぶりに山都駅で写真を撮ろうと考えております。その後は教会、JA、そして只見線方面に移ろうかと思います。こんなに欲張ってどうなることやら・・・。

満月と一ノ戸川橋りょう

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 夜、部屋にいるとやけに外が明るく感じたので窓を開けた。満月の夜だった。僕は三脚とカメラを持って鉄橋のほうへ向かう。満月は一ノ戸川をオレンジ色に染めていた。誰もいない鉄橋の下にいると、山都駅19時26分発237D野沢行がやってきました。
 

写生会

 水泳大会とは別に学校行事で大好きなのは写生会です。男子はおよそふたつの大きなグループに分かれました。僕らのチームはちょっとあんこが少なさそうなメンバーばかりが集まりました。写生の場所は迷いに迷って館ノ原にいきました。やっぱり線路の近くがいいですからね。あっ、図画板を持ってこなかった人がいます。夕方までには線の一本くらいは描いてくださいね。

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 写生の場所は館ノ原の田んぼの真ん中にある小高い丘です。ここには石碑みたいなものがありました。今見るとなんだか牧歌的でよい場所です。今度行ってみようかな。
 1226列車

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 228D

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 1229列車

 みんなは最初のうちはふざけていましたが、意外にもまじめに絵を描いていました。僕は田んぼの中を走る汽車の絵を描こうとしましたが、結局、画用紙に線を二本描いただけで終わりました。後で、美術担当の納豆先生(愛妻弁当に常に納豆がかかっていたため)に絵を見せると、
 「うーん、この二本の線はなんとも芸術的だけど、何をイメージしたのかね」
 「線路です」
 「すばらしい!」
 その学期の美術の成績は最低でした。

くつろぎ

 会津若松駅に高崎鉄道管理局の“くつろぎ”という、12系客車を改造してデビュー間もない美しいお座敷列車がやってきました。やはり会津若松には珍しい汽車がやってくるのですね。


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 電柱と電柱の間に一枚だけ大きいガラスのところがあります。ここが話題のサロン室でした。

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 その足で機関庫方面に向かうとツートンカラーのキハ52が転車台の上にいました。

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 ED77-15。多分1229列車だ。

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 ED77はここで切り離される。

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 山都駅に帰る途中、塩川駅で急行「ばんだい」と交換。


1235列車

 1235列車は1982年(昭和57年)11月15日ダイヤ改正から山都駅で216D急行「あがの4号」と交換することになり、山都駅に18時22分に到着して18時36分に発車するという14分間の長時間停車となった。
 50系4両編成の1235列車は通称“6時の汽車”と呼ばれ、会津若松や喜多方の高校から帰ってきた学生や通勤客で車内は混雑していて、喜多方駅から乗る学生はそのほとんどが部活動をしてくる。
 会津管内の高校には新潟県から越境入学してくる学生が少しだけいて、僕が知る限り、喜多方市内の高校には新潟県の豊実駅、山都町の耶麻農業には新潟県の津川駅から学生が通っていた。
 食べ盛りの車内の学生達は14分間の停車中に山都駅の売店で猛烈な買い物を始める。いつか売店のおばさんと話したことがあったけど、売店が間もなく閉店するときに到着する、この1235列車が停車している14分間が最も商品が売れると笑っていた。



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 上り216D急行「あがの4号」はまだ来ない。せっかちな急行「あがの4号」も1235列車と交換のため山都駅では18時34分着18時37分発と3分も停車する。

今日の日誌

 昨日は山形の帰りに喜多方の整体に行ってきたのですが、僕の体のメンテナンスをしてくれる整体の先生は整体の他に自然食品店を奥さんと営んでいます。さらに整体の先生は登山が大好きで、暇さえあれば奥さんに叱られながら山歩きをしているものだから、山道、温泉、食堂などに詳しく、鉄道好きの僕と妙に話が合います。
 そう思うと違う趣味同士でもかなりの部分でリンクしているところがたくさんあるんだなぁ、と感じました。例えば車を使わない登山家は鉄道で移動したり、鉄道写真を趣味にしている人でも山に登って俯瞰撮影なんかを楽しむ人がいる。そして登山家も鉄道好きも、必ずしも家から握り飯を持ってくるとは限らないので駅前食堂で食事をとることがある。なのでどっちの趣味の人も食堂には詳しくなる。なるほど・・・そーゆーことなのですね、と一人で納得しました。
 そんなことで違う趣味同士の接点というかリンクについて考えていたらある事を思い出しました。例えば、結婚式、パーティ、夜のカフェなどでまったく知らない人と出会ってしゃべる時もこれに近いものがあります。
 「あ、出身はどちらですか?」
 「新潟なんですよ」
 「おっ、新潟ですか。僕は福島なんですよー。新潟は福島の隣の県じゃないですか」
 「ほう、福島なんですか。福島と言えば会津若松に修学旅行に行ったことがありますよ・・・」
 と言った感じで、お互いが絶対に認知していそうな、算数で言えば最大公約数的な話題を吟味して相手に投げかけるような会話が僕は大好きなのです。このようにお互いを気遣う会話は少し面倒で疲れることがあるけれど、こんなときの会話ってお互いのポジションがフラットだから、たとえ目の前の相手がアメリカの大統領だとしても、
 「僕は英語が苦手です」
 「私も日本語が苦手です」
 と、ちょっとオーバーに書きましたけど、そんな感じの会話になるのではないかと思う。そこには相手を思いやる優しさが込められているような気もするのです。そう思うと、近しい人や身内相手でも、映画、食べもの、音楽、その内容はなんでもいいんだけど、ときどき最大公約数的な言葉を敢えてチョイスしてみるのもわるくはないな、と思いました。
 今度は趣味のことを考えていました。最近の会津、いや、山都町にはいろいろな趣味を持った人たちがやってくることが多いです。その趣味は僕の知っているだけを挙げてみると、旅好き、鉄道好き、そば好き、ラーメン好き、温泉好き、国道巡り、林道巡り、沢登り、山登り、キノコや山菜採り、魚釣り、伝統工芸品好き、農業体験、ドライブ、バイクツーリング、絵描き、写真好き、郵便局巡り、ダム巡り、歴史好き、道の駅好き、オーガニック食材好きなど、他にもきっと僕が気がつかないジャンルの趣味があるのかもしれませんが、最近はそんな趣味活動をする人たちを見かけるようになりました。そして、そんな各趣味活動に欠かせない共通のグッズは何なのかな・・・と考えておりましたところ、“デジカメ”はどんな趣味でもかなりの頻度で使われているのではないかと思ったのです。中には「写真は撮らないよ」という人も居ると思うのですが、ほとんどの人は携帯電話を持っていると思われるので、カメラを使う使わないは別としても、その所持率は相当に高いと思います。
 そんなカメラについてぼんやりと感じたことがあるのですが、僕はどこかに出かけたときは写真を撮ることばかりに集中してしまい、本来自分の目で見たかった風景がほとんど印象に残らないことが多いのです。きっと、何でも撮りたがる僕は写真をブログに載っけたり、人に見せたりと言った“共有”が目的になってしまい、写真を自分で楽しむということと少し離れてしまっているような気がしないでもないです。そして僕が撮る写真は“記憶の保険”や“いつか使うだろう”的のような気がします。でも、明日の朝には今日の日誌の内容をすっかり忘れてしまいカメラを持ってあちこちパシャパシャ撮ってくることでしょう。

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 整体の先生の実家がある部落訪問及び同級生Kの仕事現場にパトロールに行ったときの“いつか使うだろう写真”。
 西会津町 青坂。 

徳沢駅と豊実駅


 山都駅は221Dで出発です。僕はキハ45のボックスにすっぽり収まって窓辺にジュースを置いて仮想急行の旅気分を味わいます。キハ45の仲間のキハ23の急行はかつての「いなわしろ」で使われたことがあったけど、キハ45の急行利用は実際に見たことがないなぁ。

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 徳沢駅は磐越西線のCTC化で西会津町の簡易委託駅になった。徳沢駅の管理委託職員は二名でどちらの方も国鉄OBだった。この日は二名の簡易委託職員が出勤してなにやら打ち合わせ。ふたりともかつて勤めていた国鉄の制服をズボンを履いているので徳沢駅は国鉄職員が勤務しているみたい。
 僕はこの頃から鉄道好きと言っても、地味な貨物、普通列車、保線区、モーターカー、仮乗降場、信号場、簡易委託、そして何よりも鉄道で働く人々に興味津々だった。少しずつ合理化されて鉄道で働く人の姿が消えつつある磐越西線だったけど、簡易委託になっても駅に人が勤務しているというのは、家に帰ったときに灯りが点いているのと同じくらいの暖かさと安心感がある。

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 徳沢駅。売店こそ無いけれど徳沢保線管理室、そして駅前には商店と旅館がある。

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 徳沢駅前の通りを新潟県側に歩いていくと県境にかかる徳沢橋りょうが見えてきた。しばらくそこで佇んでいると、なんと女子中学生が鉄橋を渡ってきた。鉄橋の下はどんよりとした深緑色の阿賀川(新潟県では阿賀野川)なのに、平然といつも通る当たり前の道ように歩いている。きっと新潟県鹿瀬町新渡部落の人で汽車に乗るために“最寄り駅”の福島県の徳沢駅に来たのだろう。確かに地元豊実駅に歩いて行くのはかなりの距離がある。僕はそんな女子中学生を見ていたら、夜とか台風とか冬の日でもこの鉄橋を渡るのかなぁ・・・と考えていた。

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 女子中学生が渡った後に1224列車がやってきた。彼女はこの汽車に乗るのだろうか?

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 ちょっと記憶が曖昧です。僕は豊実駅に移動しているのだが徳沢駅から豊実駅まで歩いて行ったのだろうか? えっ、やっぱあの徳沢橋りょうを渡ったのかなぁ。なんだか信じられない。あぁ、どうしても思い出せないや。でも豊実駅近くのトンネルでしっかり1225列車を写しているしなぁ。やっぱ鉄橋を渡って歩いたな。
 細かいことは置いといて豊実駅の住所は新潟県です。もっとも僕は何でも大仰に言いたくなるので、東北地方の福島県から新潟県が含まれる関東甲信越、北陸、甲信越と呼ばれる別の地方まで自分の足で歩いて来たのです。なんだか凄い僕。
 トンネルを抜けてきたのはDD51-757牽引の1225列車。

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 豊実駅は磐越西線の中でもかなり遅い時期まで貨物を扱っていた。そして汽車の交換もできた駅だったけど、いつの間にか上り線の線路が取り外されていました。まだ線路というかまくら木の跡がはっきり見えます。

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 旧貨物線のエンドレール部分。

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 強者どもが夢の跡。かつての貨物ホームは草ぼうぼう。

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 旧貨物線で見つけました。左右のレールの高さが違うのがよく分かります。レールにもグレードがあって左側のほうが高規格です。ちなみにレールは1メートルあたりの重さで呼びます。例えば60キロレール、50キロレール・・・と、重いレールほどグレードが高くて列車本数の多いところや高速で走る路線で使われます。この頃の磐越西線は本線でも40キロレールのところが数多くありました。
  
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 豊実駅の横取り装置です。僕はいつもこの装置を見るたびに、どうやって車両が渡るのか疑問でした。答えは線路の上にパーツの線路をかぶせるように取り付けて車両を通します。段差が激しいのでゆっくり車両を動かすそうです。

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 豊実駅前には西会津・大山神社の祭礼の旗が。大山神社はなぜか新潟県に信者が多いのです。

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 1291列車がガダゴト通過していった。

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 次の汽車まで時間があるので豊実駅近くの神社に行ってみた。

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 214D急行「あがの2号」。

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 豊実駅に入線する1226列車。

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 豊実駅にバイバイして1226列車で徳沢駅に戻る。

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 無線を使って機関士さんに出発合図を送る1227列車の車掌さん。
 徳沢駅。

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 徳沢駅で1226列車と1227列車は交換します。どちらも貴重になった旧型客車です。

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 やけにすっきり見える徳沢駅ホーム。1226列車の最後尾はオハフ33。

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 不要になった“国鉄コンテナ”を再利用した物置。
 徳沢駅。

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 徳沢駅は古い駅舎だが清掃が行き届いていた。特に簡易委託駅の待合室は勤務する職員の個性と創意工夫が随所に表れていて興味深い。僕だったらどんなポスターを作ろうかな・・・。さて簡易委託された徳沢駅待合室をじっくり見ると、写真左上には開業したばかりの上越新幹線にちなんだ新幹線定期券FREXのポスター、柱の鏡、窓口に飾られた花、額縁には短歌、国鉄全線地図、「みなさん駅徳沢駅のためにきっぷは“往復”を」と「主な駅の旅客運賃表」といった手書きポスターがやる気を感じさせる。

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 徳沢駅は急行こそ停まらないものの列車交換駅として重要な役割を果たしている。徳沢保線管理室も構内にあり、さらにかつて奥川方面からトロッコに乗せられた木材が徳沢駅まで運ばれて山積みされていた。かつての貨物線にはモーターカーが待機していた。

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 ふたたび徳沢駅の事務室におじゃまする。簡易委託職員氏は一人しか居なかったが、切符を売る姿がなんともベテランの味。とても国鉄の分類上の無人駅とは思えない。

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 228Dに乗る親子がやってきた。なんだか久しぶりに人に会った。

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 朝以来のキハ45。228D。

水泳大会

 今でも旧い友達に会うと中学時代の水泳大会の話題がときどき酒の肴として登場してくる。
 当時、僕が通っていた中学校では毎年水泳記録大会が行われていた。大会の10日ほど前から各競技に出る選手を選抜して記録を測定する主旨はまったくもって素晴らしいことなんだけど、いかんせん僕は泳げない。それどころか洗顔のとき洗面器にたまっている水を見ると脳裏に“死”という言葉が浮かぶほどだ。
 結局、何がどうしてこうなったのか分からないけど僕は平泳ぎ25メートルに出場することが決まった。そのとき教師は「泳げないのなら歩け」と僕を諭すように言った。確かにその理屈というか根性話は分からなくもない。“参加することに意義がある”とか“順位や記録に関係なくとにかく25メートル進む”という男気な世界はキライではないが、フルマラソンのゴール手前でダウンして這いつくばりながらゴールして盛大な拍手を受けるのと、まったく泳げない僕が全校生徒と全教師が見ている前でプールに直立不動のまま飛び込んで情けない顔をして、まるでメタボッたオヤジと健康志向の老人がカロリー消費と足腰増強のために延々と区民プール周回するに近い光景は罰ゲームを超えてもはや拷問に域に達している。
 僕は数日間悩みに悩んである重大なことを決心をした。それは当日“逃げる”ことだった。逃げる準備は前日から準備しておいた。食料は山崎製パンの細長いスティックパン一袋、ジュース代となる小銭二百円、カメラ、フィルムなど。行き先は鉄橋を渡り終えたところにある保線小屋で、あそこなら風雨をしのげるし汽車の写真を撮るにも最適だ。
 朝7時。天気は曇天。僕は何事もないように自転車に乗って家を出た。めざすはあの小屋。舟岡部落の坂を上がって田んぼの畦道を抜けると無事に線路に出られた。
 

 天気は曇天から小雨に変わる。まだ油断できない。あの学校のことだ。強引にでも水泳大会を開くであろう。僕はひとりで体制に逆らっているような気分になり、気を良くしていた。でも、単に逃げているだけなのだが・・・。
 1227列車がやってきた。平日、学校に行かずに汽車の写真を撮っていると「僕って不良?」なんて思った。

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 1227列車の最後尾はオハフ61。この頃の旧型客車は二つの尾灯がまともに点いているものが少なかった。

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 雨はどんどん激しくなる。まだまだ油断は禁物。あの学校のことだから水泳大会は中止になるわけはない。
 そんなことを考えながら上り214D急行「あがの2号」を撮影する。
 僕は、今すぐ大人になって、他人にあれこれ支配されない人間になりたいと思った。

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 「おい、学校はどうした」
 山都保線管理室の職員さん二名が線路巡回にやってきた。
 「いや、その・・・」
 嘘はつけない。なんてったってその職員さんは僕の同級生の父親なのだから。

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 少し鉄橋の近くに寄って1226列車を撮影。雨の中の旧型客車はとても趣きがある。

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 228D。最後尾の車両は急行型だった。乗りたい・・・。

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 228Dの会津若松駅折返しの231D。最後尾はキハ35、めごい顔をしている。この時間帯は急行「いいで」の廃止により汽車が通らなくなってしまった。

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 DD51-576牽引の1261列車。貨物列車もめっきり少なくなってしまった。

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 50系6両編成の1230列車。もうこの時間なら水泳大会も終わったことだろう。

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 1233列車。マニ36だろうか。これを撮ってぼくはのこのこと家に戻る。
 その後はこちら。

1227列車と1261列車


 DD51-685牽引の1227列車。

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 1227列車。

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 1227列車。

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 同級生ふたりと会津若松に全日本プロレスを見にいったときに写した。貨車は木材のチップを積んだものばかり。
 山都駅15時47分発の1261列車。

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