
山都駅は221Dで出発です。僕はキハ45のボックスにすっぽり収まって窓辺にジュースを置いて仮想急行の旅気分を味わいます。キハ45の仲間のキハ23の急行はかつての「いなわしろ」で使われたことがあったけど、キハ45の急行利用は実際に見たことがないなぁ。

徳沢駅は磐越西線のCTC化で西会津町の簡易委託駅になった。徳沢駅の管理委託職員は二名でどちらの方も国鉄OBだった。この日は二名の簡易委託職員が出勤してなにやら打ち合わせ。ふたりともかつて勤めていた国鉄の制服をズボンを履いているので徳沢駅は国鉄職員が勤務しているみたい。
僕はこの頃から鉄道好きと言っても、地味な貨物、普通列車、保線区、モーターカー、仮乗降場、信号場、簡易委託、そして何よりも鉄道で働く人々に興味津々だった。少しずつ合理化されて鉄道で働く人の姿が消えつつある磐越西線だったけど、簡易委託になっても駅に人が勤務しているというのは、家に帰ったときに灯りが点いているのと同じくらいの暖かさと安心感がある。

徳沢駅。売店こそ無いけれど徳沢保線管理室、そして駅前には商店と旅館がある。

徳沢駅前の通りを新潟県側に歩いていくと県境にかかる徳沢橋りょうが見えてきた。しばらくそこで佇んでいると、なんと女子中学生が鉄橋を渡ってきた。鉄橋の下はどんよりとした深緑色の阿賀川(新潟県では阿賀野川)なのに、平然といつも通る当たり前の道ように歩いている。きっと新潟県鹿瀬町新渡部落の人で汽車に乗るために“最寄り駅”の福島県の徳沢駅に来たのだろう。確かに地元豊実駅に歩いて行くのはかなりの距離がある。僕はそんな女子中学生を見ていたら、夜とか台風とか冬の日でもこの鉄橋を渡るのかなぁ・・・と考えていた。

女子中学生が渡った後に1224列車がやってきた。彼女はこの汽車に乗るのだろうか?

ちょっと記憶が曖昧です。僕は豊実駅に移動しているのだが徳沢駅から豊実駅まで歩いて行ったのだろうか? えっ、やっぱあの徳沢橋りょうを渡ったのかなぁ。なんだか信じられない。あぁ、どうしても思い出せないや。でも豊実駅近くのトンネルでしっかり1225列車を写しているしなぁ。やっぱ鉄橋を渡って歩いたな。
細かいことは置いといて豊実駅の住所は新潟県です。もっとも僕は何でも大仰に言いたくなるので、東北地方の福島県から新潟県が含まれる関東甲信越、北陸、甲信越と呼ばれる別の地方まで自分の足で歩いて来たのです。なんだか凄い僕。
トンネルを抜けてきたのはDD51-757牽引の1225列車。

豊実駅は磐越西線の中でもかなり遅い時期まで貨物を扱っていた。そして汽車の交換もできた駅だったけど、いつの間にか上り線の線路が取り外されていました。まだ線路というかまくら木の跡がはっきり見えます。

旧貨物線のエンドレール部分。

強者どもが夢の跡。かつての貨物ホームは草ぼうぼう。

旧貨物線で見つけました。左右のレールの高さが違うのがよく分かります。レールにもグレードがあって左側のほうが高規格です。ちなみにレールは1メートルあたりの重さで呼びます。例えば60キロレール、50キロレール・・・と、重いレールほどグレードが高くて列車本数の多いところや高速で走る路線で使われます。この頃の磐越西線は本線でも40キロレールのところが数多くありました。

豊実駅の横取り装置です。僕はいつもこの装置を見るたびに、どうやって車両が渡るのか疑問でした。答えは線路の上にパーツの線路をかぶせるように取り付けて車両を通します。段差が激しいのでゆっくり車両を動かすそうです。

豊実駅前には西会津・大山神社の祭礼の旗が。大山神社はなぜか新潟県に信者が多いのです。


1291列車がガダゴト通過していった。

次の汽車まで時間があるので豊実駅近くの神社に行ってみた。

214D急行「あがの2号」。

豊実駅に入線する1226列車。

豊実駅にバイバイして1226列車で徳沢駅に戻る。



無線を使って機関士さんに出発合図を送る1227列車の車掌さん。
徳沢駅。

徳沢駅で1226列車と1227列車は交換します。どちらも貴重になった旧型客車です。

やけにすっきり見える徳沢駅ホーム。1226列車の最後尾はオハフ33。

不要になった“国鉄コンテナ”を再利用した物置。
徳沢駅。

徳沢駅は古い駅舎だが清掃が行き届いていた。特に簡易委託駅の待合室は勤務する職員の個性と創意工夫が随所に表れていて興味深い。僕だったらどんなポスターを作ろうかな・・・。さて簡易委託された徳沢駅待合室をじっくり見ると、写真左上には開業したばかりの上越新幹線にちなんだ新幹線定期券FREXのポスター、柱の鏡、窓口に飾られた花、額縁には短歌、国鉄全線地図、「みなさん駅徳沢駅のためにきっぷは“往復”を」と「主な駅の旅客運賃表」といった手書きポスターがやる気を感じさせる。

徳沢駅は急行こそ停まらないものの列車交換駅として重要な役割を果たしている。徳沢保線管理室も構内にあり、さらにかつて奥川方面からトロッコに乗せられた木材が徳沢駅まで運ばれて山積みされていた。かつての貨物線にはモーターカーが待機していた。

ふたたび徳沢駅の事務室におじゃまする。簡易委託職員氏は一人しか居なかったが、切符を売る姿がなんともベテランの味。とても国鉄の分類上の無人駅とは思えない。

228Dに乗る親子がやってきた。なんだか久しぶりに人に会った。


朝以来のキハ45。228D。