今でも旧い友達に会うと中学時代の水泳大会の話題がときどき酒の肴として登場してくる。
当時、僕が通っていた中学校では毎年水泳記録大会が行われていた。大会の10日ほど前から各競技に出る選手を選抜して記録を測定する主旨はまったくもって素晴らしいことなんだけど、いかんせん僕は泳げない。それどころか洗顔のとき洗面器にたまっている水を見ると脳裏に“死”という言葉が浮かぶほどだ。
結局、何がどうしてこうなったのか分からないけど僕は平泳ぎ25メートルに出場することが決まった。そのとき教師は「泳げないのなら歩け」と僕を諭すように言った。確かにその理屈というか根性話は分からなくもない。“参加することに意義がある”とか“順位や記録に関係なくとにかく25メートル進む”という男気な世界はキライではないが、フルマラソンのゴール手前でダウンして這いつくばりながらゴールして盛大な拍手を受けるのと、まったく泳げない僕が全校生徒と全教師が見ている前でプールに直立不動のまま飛び込んで情けない顔をして、まるでメタボッたオヤジと健康志向の老人がカロリー消費と足腰増強のために延々と区民プール周回するに近い光景は罰ゲームを超えてもはや拷問に域に達している。
僕は数日間悩みに悩んである重大なことを決心をした。それは当日“逃げる”ことだった。逃げる準備は前日から準備しておいた。食料は山崎製パンの細長いスティックパン一袋、ジュース代となる小銭二百円、カメラ、フィルムなど。行き先は鉄橋を渡り終えたところにある保線小屋で、あそこなら風雨をしのげるし汽車の写真を撮るにも最適だ。
朝7時。天気は曇天。僕は何事もないように自転車に乗って家を出た。めざすはあの小屋。舟岡部落の坂を上がって田んぼの畦道を抜けると無事に線路に出られた。

天気は曇天から小雨に変わる。まだ油断できない。あの学校のことだ。強引にでも水泳大会を開くであろう。僕はひとりで体制に逆らっているような気分になり、気を良くしていた。でも、単に逃げているだけなのだが・・・。
1227列車がやってきた。平日、学校に行かずに汽車の写真を撮っていると「僕って不良?」なんて思った。

1227列車の最後尾はオハフ61。この頃の旧型客車は二つの尾灯がまともに点いているものが少なかった。

雨はどんどん激しくなる。まだまだ油断は禁物。あの学校のことだから水泳大会は中止になるわけはない。
そんなことを考えながら上り214D急行「あがの2号」を撮影する。
僕は、今すぐ大人になって、他人にあれこれ支配されない人間になりたいと思った。

「おい、学校はどうした」
山都保線管理室の職員さん二名が線路巡回にやってきた。
「いや、その・・・」
嘘はつけない。なんてったってその職員さんは僕の同級生の父親なのだから。

少し鉄橋の近くに寄って1226列車を撮影。雨の中の旧型客車はとても趣きがある。

228D。最後尾の車両は急行型だった。乗りたい・・・。

228Dの会津若松駅折返しの231D。最後尾はキハ35、めごい顔をしている。この時間帯は急行「いいで」の廃止により汽車が通らなくなってしまった。

DD51-576牽引の1261列車。貨物列車もめっきり少なくなってしまった。

50系6両編成の1230列車。もうこの時間なら水泳大会も終わったことだろう。

1233列車。マニ36だろうか。これを撮ってぼくはのこのこと家に戻る。
その後はこちら。